チョコレート のバックアップ(No.3)
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- 1 (2006-03-22 (水) 22:04:25)
- 2 (2006-04-20 (木) 21:37:21)
- 3 (2006-06-23 (金) 23:53:36)
- 4 (2008-01-05 (土) 00:14:35)
- 5 (2018-03-04 (日) 22:02:49)
ち【ちょこれーと:チョコレート】
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チョコレート関連項目 †
チョコレートの豆知泉 †
- 日本のチョコレートはヨーロッパ(EU)ではチョコレートではない。実はヨーロッパではチョコレートは「植物油は5%まで」と定義されているが、日本の物は6〜20%も含まれているため。
- 実は高温多湿の日本では、ヨーロッパの規格どおりにカカオばかりのチョコレートを作ると、夏場にはすぐ溶けてしまう為に多量の植物油で固める必要がある。(昔のチョコが溶けやすかったのはこれが理由)
- ノンシュガーが売りになっているチョコレート『ゼロ』。実はカロリー面では普通のチョコレートとほとんど差はない。
- 「マーブル」とは大理石の事。しかしそれ以外に色の付いたおはじきと言う意味もある。つまりチョコレートの方のマーブルの意味はこれ。
- 1年間1人あたりのチョコレート消費量を板チョコの枚数に換算したとき、日本はおよそ30枚(これでも多いので、食べる人は異常に食べているんだと思います)、世界一のスイスはおよそ190枚。ベルギーも多くおよそ90枚ほど食べているらしい。
- 我が国におけるチョコレートの年間消費量のうち、およそ25%はバレンタイン・シーズンに発生する。
- バレンタインデーに女性がチョコレートを送るというのは、モロゾフがはじめたらしい。もちろん、日本だけの儀式。
- 80年代に、主に男子小学生の中でブームを巻き起こした『ビックリマンチョコレート』の姉妹品として、女の子向けの『ビックリコ』というシール付きお菓子が発売されていたが、ほとんど売れなかった。
- エクレアは「チョコレートが溶ける前に稲妻のように早く食べろ」ということからフランス語で「稲妻」という意味のエクレアと名前が付けられた。
- チョコレートやカカオの製造には微生物が関与している。
- 高級チョコレート「ゴディバ」は、ベルギーのブランドです。ベルギーのチョコレートは有名ですが、国民一人当たりの年間チョコ消費量ももの凄く7.8Kgにもなる。一月平均で板チョコを6枚半食べると言います。
1819年:チョコレート誕生 †
- 菓子としてチョコレートが最初に工場で製造されたのは、1819年、スイスのヴィヴェーでの話。
製造したのはフランソワ・ルイ・カイエ(23歳)で、これが最初の板チョコでした。
菓子としてチョコレートが生まれた起源はハッキリしていないが、カイエより前に[[]]フランスとイタリアで製造されていたと言われる。
イタリアのチョコレートは太い棒状にしたチョコレートをナイフで薄切りにして食していた。
1826年:イギリス・チョコレート事始め †
- イギリスで「チョコレート」と言う言葉が活字として登場するのは、1826年に発行された『バトラーの医薬品案内』の中に掲載された「フライのチョコレート錠剤」の広告が最初。
ここでは「旅行中など、やむをえず食事を取り損なった時のための、快適で栄養価の高い代用食」として書かれている。
フライ社が純粋なお菓子としてチョコレートを作り始めたのはそれから30年近く後の1853年からだった。
1842年:商品カタログ †
- イギリスのキャドベリー社は、1842年の最初の商品価格リストに「フランスチョコレート菓子:1枚2シリング」と掲載している。
もっともこれは、フランス式の製法でキャドベリー社が製造した物なのか、フランス製のチョコレートを輸入したものなのかは判っていない。
1861年:チョコレート詰め合わせ †
- イギリスでは1861年にキャドベリー社が発売した「ショコラ・デ・デリス・オ・フリュイ」と言う商品は「果実風味チョコレート」で、オレンジ・レモン・ラズベリー?・アーモンド?のクリームを中に入れたチョコレートの詰め合わせです。
また「キャドベリーの味つけボンボン」とは、シナモン・アーモンド・レモンなどの香りを付けたチョコレートの詰め合わせだった。
1875年:ミルクチョコレート登場 †
- ミルクチョコレートを量産したのは、量産チョコレートの元祖フランソワ・ルイ・カイエの娘の旦那ダニエル・ピーターで1875年の事でした。
1875年:日本チョコレート事始め †
- 日本でチョコレートが初めて一般に販売されだしたのは、1875(明治8)年、東京・両国若松町の米津風月堂だと云われています。
当時はチョコレートなどとカタカナでは表記せず、当て字の『貯古齢糖』や『猪口令糖』『千代古齢糖』『知古辣』などと書きました。
- しかし当時の人々は見たこともない黒い物体を「貯古齢糖は牛の血液を固めた物だ」とか「泥を固めたものだ」などと恐れて、あまり売れませんでした。
特に「牛の血」などと云うのは、牛乳?を飲む習慣の無かった日本人の間で「牛乳を飲むとツノが生えてくる」などと云う迷信が流れていた頃だったので、人々に恐怖心を植え付ける結果になってしまいました。
さらにチョコレートには「牛の乳が混ぜられている」という話が(当時はまだ牛乳という言葉が一般的ではなかった)「牛の血が混ぜられている」と勘違いされたとも考えられています。
- 多くの日本人にそっぽを向かれたチョコレートですが、実は日本で販売される2年前の1873(明治6)年に食べた日本人たちがいます。
それはヨーロッパ使節団として出かけていた岩倉具視・大久保利通?・津田梅子?といった政治家・知識人たちでした。
その頃の知識人たちや政府指導者は開国によって開かれた世界を見聞きし、日本が文化的に遅れた国であると認識して、少しでも多く西洋の文化を吸収しようとしていた時期でした。
そのために、どす黒く泥を固めた様な不思議な物体でさえ「フランス王室でも食されている」と云われれば、その探求心の為に口にしたのです。
- 一般的に食されるようになったのは、大正時代に入ってからの事ですが、高級な物として珍重される傾向があり、本当に庶民の口に入る様になったのは第二次世界大戦終結後の進駐軍によって持ち込まれたチョコレートからだったと云われています。
酸っぱいチョコレート †
- 色々な種類のチョコレートが存在するが、1950年代の日本で世にも珍しい「酸っぱいチョコレート」と言うものが販売されていた。
このチョコレートは主にアメリカへの輸出用として製造されていた『チョコアンリ』と言う製品でした。
- このチョコの酸味の正体はなんと、長野県戸隠・飯縄高原のカラ松林に棲息していたアカヤマアリと言うアリでした。
このアリを大量に捕獲し、油で揚げてから塩味を付け、それをチョコレートの中に練り込んだ、かなりグロっぽい製品だったのです。
- もっとも長野県には古くからイナゴ?・ハチの子・ザザムシなどの昆虫を常食していたという歴史があり、その発想の中から誕生した物だったのです。
この一見グロテスクなアリ入り酸っぱいチョコは、強心剤としての効果があると言うことから、アメリカではお菓子と言うより薬として食されて、かなりの評判を得たといいます。
更新履歴 †
- 2000.02.15.知泉No.137
- 2000.03.13(酸っぱいチョコレート)