小野小町 のバックアップ(No.1)
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- 小野小町 へ行く。
- 1 (2006-02-13 (月) 22:23:32)
- 2 (2006-02-14 (火) 06:42:06)
お?小野小町:おののこまち
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絶世の美女 †
- 9世紀に生きた日本を代表する美女《小野小町》
と言っても、実際に美人だったのか、その美貌は現代でも通用するのかは不明ですが、その後もいたるところで美人と言うと《○○小町》と呼ばれるようになっています。
彼女は美人と言うことが最大の特徴ではなく、才女として『古今集』の18首などを含め、全部で100首近い歌を残している女流歌人なのです。
- しかし、その生没年もはっきりせず、生い立ちもあまり解っておりません。
残された文献によると(と言っても後世になって書かれた物ですので、信憑性は低いのですが)18歳の時に《釆女:うねめ》として宮中に出仕した処、宮中一の美女と騒がれ、天皇の寵愛を受けることとなったのです。
普通ならここで、天皇の妻となったりして子供を授かったりするのでしょうが、そのようなこともなく、宮中を退出した後も、多くの男性が求愛をしたのですが、その誘いを小野小町は拒み続けたと言うのです。
- もしかしたら、この辺りは《かぐや姫》の話と重なるところもあるのかも知れません。
花のいろは移りにけり・・・ †
- 彼女の晩年は寂しい物だったということは、謡曲の『関寺小町:せきでらこまち』『卒塔婆小町:そとばこまち』『鸚鵡小町:おうむこまち』などに描かれています。
それらの謡曲の中では、年老いて老醜をさらした小野小町が出てきて、諸国を放浪する老婆として描かれています。
- 最期は、旅の途中で行き倒れてしまい誰もその骨を拾うことなく、しゃれこうべになってしまったとされています。
そして、その目の部分からススキが生えてきて、旅人がそこを通るたびにどこからともなく「痛い、痛い」と声がしたという、かなりオカルトめいた話になって終わっています。
- これはあくまでも後世になって語られた「絶世の美女の末期」と言う悲しく作られた物語なのですが、小野小町も自分が年老いていく姿を描いたと思われる作品を残しており、それが代表作となっています。
『花のいろは、うつりにけりな、いたずらに、
わが身世にふる、ながめせしまに』
この歌は、花の盛りがあっという間に過ぎてしまうことを歌ったものですが、その裏には、若かった頃には多くの男性にちやほやされ求婚されていたが、月日と共に色あせてしまった、と言う心境が歌われているのではないかと考えられています。
- つまり、この有名な歌があったために「小野小町→絶世の美女→年を取り寂しい晩年」と言うイメージができあがって、その後多くの謡曲での老婆として描かれるようになったのでは?と考えられています。
- 2001.06.23記載