富士山 のバックアップ(No.3)


【ふじさん:富士山】

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富士山の語源

  • 富士山は古い文献では俗字の上の点が無い「冨」の文字が使われている場合もあります。
    さらに「福慈」や「不二」など書いている文献も存在しています。

  • この日本で一番目立つ山の名前が「フジ」と決まったのかは諸説ある。とにかく目立つ象徴的な物なのでもっとも古い時期から名付けられていたと思われるために、実際の語源がどれなのかは難しい。

  1. 古代のこの地域には現在アイヌ人と呼ばれる人々が住んでいて、アイヌ語で火之神を意味する「huchi」あるいは「unchi」と呼ばれていた事から。
    さらにアイヌ語で噴火を意味する「push」から誕生した言葉と言う説。
    この説は明治時代に来日した宣教師のジョン・バチェラーが唱えた説
  2. その後、大陸から渡ってきた民族にアイヌ人は徐々に北方に追いやられることになるのですが、大陸から渡ってきた民族、つまり現在の朝鮮民族の言葉でを意味する「pul」が語源という説。
  3. やはり古代には何度も噴火していたために「噴く(フ)地面(ジ)」と言う説
  4. フジの花が垂れ下がるような山裾の意味。

  • 他にも諸説有り

富士山の豆知泉

  • 富士山の頂上にある観測所で使っている電気は、ふもとから延々とコードを引っ張ってきている。ただし地下ケーブルなので人目には触れない。

  • 富士山の直径は約50Km

  • 記録に残されている富士山の山頂まで登った初の外国人は初代イギリス公使ラザフォード・オールコック?で1860(万延元)年の事。
    と言っても、100人のお供と30頭の馬を引き連れての大部隊だった。

  • 東海道新幹線に乗って富士山を見るのは山側の座席からしか出来ないように思われているが、新富士〜静岡間の由比海岸付近では海側からも富士山が見られる。

  • 富士山頂は浅間神社の所有地。

  • 東京に沢山ある「富士見」の地名は本当にそこから富士山が見えたから。しかし現在でも見えるのは1つだけ。そこも危機に瀕している。

  • 東京に数多くある富士見坂には,そこから駿河富士が見えない所も少なくない。
    浅間講(富士講)の為の富士山に見立てた小山の近くにあるから富士見坂と名づけられた。

  • 全国各地にある○○富士で、駿河富士に似ても似つかない山は、もともと富士講の見立て富士だった可能性が高い。

  • 富士山の三大噴火とは、800年[延暦19年]・864年[貞観6年]・1707年[宝永4年]

宝永の大噴火

[1707年10月4日]

  • まず、10月4日にその噴火の前兆として、東海道の以西に大打撃を与えた《宝永大地震》が発生しています。
    現在判明しているのはおよそマグニチュード8.4と言う凄まじいものでした。
    しかし、この地震が起こった時にはまだそれがさらなる災害へつながる前兆だとは誰も考えていませんでした。
    その宝永大地震は1ヶ月以上に渡って余震が続いていたのですが、その地震の震源地が徐々に富士山へと近づき、ついに11月22日から富士山麓で大規模な地震が頻発するようになったのです。

[1707年11月23日]

  • そしてついに、11月23日の午前10時頃、富士山の南東側の山腹から噴火が始まりました。
    その噴煙は遠く江戸まで届き、昼過ぎには江戸の街まで黒煙で覆われ、火山灰が雪のように降り始めたと言いますが、その時点でまだ江戸のほとんどの人々は富士山が噴火したとは気が付いていなかったのです。
    その火山灰はどこかの山火事の灰が風に乗ってきたのでは?とも考えられていたのですが、夜半にはさらに激しく黒いものに変わっていった。

[1707年11月25日]

  • 翌々日、11月25日になってやっと駿河国・吉原の宿場より届けられた知らせによって、その灰の正体が富士山の噴火によるものだと判明したと言います。
  • この時噴火した南東側の山腹には今でもハッキリと大きな噴火口があり、東海道側から見る富士をより印象的な物にしている。

2月23日 富士山の日

  • パソコン通信「NiftyServe?」内のフォーラム「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」が制定。

  • 「ふ(2)じ(2)さん(3)」(富士山)の語呂合わせと、この時期、富士山がよく望めることから2月23日に決まりました。
    関連サイト○山の展望と地図のフォーラムhttp://forum.nifty.com/fyamap/

8月30日 富士山測候所記念日

  • 1895(明治29)年8月30日、富士山頂に野中測候所(現在の気象庁富士山測候所)が開設しました。

1月23日 真白き富士の嶺の日


  • この遭難は社会的事件として新聞で大々的に扱かわれました。
  • この悲報に接した鎌倉女学校の教諭・三角錫子は「七里ヶ浜の哀歌」を作詞し、この歌は全国で愛唱されました。

更新履歴

  • 1999.00.00
  • 2000.00.00
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