日本橋 のバックアップ(No.2)
に:日本橋(にほんばし)
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4月3日 日本橋開通の日 †
- 木橋から石橋へ掛け替えられた日本橋で、1911(明治44)年4月3日に開通式が行われた。
雨混じりの寒い日だったが、そんな悪天候にも関わらず、100万人もの市民が渡り始めをするために殺到した。
その時の混乱ぶりは凄い物で、結局数10名もの負傷者まで出してしまった。
- 日本橋は、江戸時代から現在まで日本の道路交通の中心となっています。橋の中央に国道の起点となる「日本国道路元標」が設置されています。
語源 †
- 《お江戸日本橋》と歌にも詠われる日本橋は、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられた慶長8年に架設されていると記録に残されている。
その当時の橋は、長さ68メートル幅7メートルと言うものだった。
- 現在の橋は明治44年になって架設し直されたもので、長さ49メートル幅27メートルと言うものになっている。
ちなみに現在の日本橋にある《日本橋》の文字は最後の将軍徳川慶喜が書いた物と言うことで、徳川に縁が深い橋なのです。
- この日本橋の名前の由来と言うと、実はよく判らないのです。
『慶長見聞集』の中には「この橋が日本橋と呼ばれるようになったのは、まったく不思議なこと」と書かれているように、普通新たに橋が架設されたりする場合はお上などが命名するのでしょうが、この橋はもともと日本橋とは誰も制定していなかったのです。
結局、この橋は江戸時代に誰が呼ぶとはなしに《日本橋》と呼ばれるようになったのです。
- その語源も諸説あり
1)橋の上から太陽が昇るのがよく見えたから(日の本(もと)橋)
2)昔は、2本の木を渡しただけの橋が架かっていたから(2本橋)
それ以外にも異説が多く存在するらしい。 [知泉No.147/2000.02.26掲載]
道はすべてここから始まる †
- 国道や高速道路で見かける「東京40キロ」と言う道路標識での「東京」とは日本橋までの距離を指しています。
これは1604(慶長9)年に東海道や中山道?などの、いわゆる五街道に一里塚が設けられたときに日本橋が起点になったと言う事から延々と引き継がれてきたものです。
- ただし江戸時代の日本橋は粗末な木造の橋で、江戸の大火のたびに焼け落ちて、そのつど応急手当的に掛け替えられてきたものです。
その日本橋の掛かる川筋は、江戸城と隅田川?を結ぶ運河として重要な役目を持ち、大江戸の一大商業の中心地として賑わいました。
- 1963(昭和38)年、東京オリンピックを目前にして日本橋の上に首都高速道路が掛けられる事になりましたが、この橋をそのまま残すと言うことが条件でした。 [知泉No.147/2000.02.26掲載]