清少納言 のバックアップ(No.1)


清少納言:せいしょうなごん

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勝ち気な才媛

  • 平安時代はまだ仏教の影響が少なかったために、女性でも文学的才能を発揮する人が多くいました。
    その中で『枕草子』を書き残した清少納言は才媛として名高く、さらに勝ち気で、社交的な性格だったと書き残されています。

  • 彼女曰く『しかるべき家に生まれた女性は一度は宮仕えをして、世間の中にさらされ、広く世を知る必要がある』と言うことを持論にしていたそうです。
    一条天皇の皇后《中宮・定子/ちゅうぐう・ていし》[藤原定子:977-1000]にもその才能と機転の利く処を愛されて、中宮でも中心的な人物になっていました。

清少納言の老後

  • しかし、定子が亡くなってしまった後は、宮廷を追われるようになってしまったのです。
    いわゆる表舞台から消えてしまってからの清少納言の事は『古事談』に書き残されているのですが、晩年は尼僧となって、廃屋のような庵でひっそりと寂しく暮らしていたとされています。

  • そこに描かれている清少納言は若い頃の『勝ち気』と言う部分が強調された人物としてされていて、ある時、兄弟の《清原政信:きよはらむねのぶ》の家に泊まった時、政信を狙った暗殺者が襲撃してきたとされています。
    その暗殺者は居合わせた老婆の清少納言を男だと思って切り捨てようとしたのですが、清少納言は「ざけんじゃねぇ!」とばかりに法衣をたくしあげて、女であることを見せて難を逃れたとされています。

  • また別のエピソードでは、廃屋同然の庵のそばを若い殿上人たちが通りかかった時に「まったく才媛とも言われた清少納言も落ちぶれたものだな」などと話をしていたのですが、それを聞いた清少納言は鬼のような形相をして出てきて「駿馬のを買わんか!?」とどなったとされています。
    しかし、このエピソード自体は、中国の故事に残されている《骨になっても名馬?なら買い手がある》と言うものの引用だとされています。

  • 2001.06.19記載

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