関東大震災 のバックアップ(No.1)


?:関東大震災(かんとうだいしんさい)

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1923年9月1日 関東大震災発生

  • 午前11時58分44秒、その瞬間、中央気象台に置かれた地震計の針は1本残らず吹き飛んだと言われている。唯一計測できたのは、東大理学部の地震計だけで、記録した数字はマグニチュード7.9。
    被害は関東のみならず、静岡や長野にまで及んだ。

  • 被害者の数は日本の災害史上もっとも酷く、死者の数99,331名、負傷者103,733名、行方不明者43,476名、全壊した家屋は128,266戸、半壊は126,233戸を数え、さらに火災で約44万7100戸が焼失した。

  • 火災によって東京の全戸数の70%、横浜では60%が焼失したと言われている。
    特に地震が昼食どきに起こった事が、火災などの被害として規模を拡大させる要因になった。

被害状況

◇死者……………99,331人
◇行方不明………43,476人
◇負傷者…………103,733人
◇全壊した家屋…128,266戸
◇半壊した家屋…126,233戸
◇火災焼失約……44万7100戸


  • 都内では130カ所異状で火災が発生し、本所横綱町の陸軍被服しょう跡の空き地では、避難した民衆約3万8000人が四方から火に巻かれて焼死している。
    一瞬にして瓦礫の山となった帝都で、暴徒を取り締まろうと自警団が各所に生まれた。しかし、この自警団員による暴行や殺人が横行するという悲劇も生んだ。

  • 混乱の中、朝鮮人暴動のデマが流れ、朝鮮人の虐殺も行われた(この間、約6000人の朝鮮人が殺害されたと言う/資料によって人数が極端に違う)。
    地震の2日後には警視庁が、5日後には内閣が、朝鮮人迫害を戒める掲示を発表したほどであった。

  • また震災後の混乱に、朝鮮人虐殺事件以外に
    亀戸事件(大正12年9月5日前後)
    甘粕事件(大正12年9月16日)
    などの事件も起こっています。

  • 関東大震災を忘れず教訓をいつまでも生かすために、1960年に閣議決定で「防災の日」に制定された。

9月1日と言う日

  • 実はこの日は、関東大震災以前から、災害の多い日として注意されていたとも言われている。

  • それを公式的文章として著述したのが江戸時代中期の暦学者・渋川春海と言う人物で、「貞亨暦」と言う書物に記している。

  • 渋川春海と言う人物は釣りが好きな人物で、ある日、品川の沖へ海釣りに出ようとして船を準備している時に、地元の年老いた漁師から「今日は立春から数えて210日目になるから天気は荒れる。だから船を出すのはやめておいたほうがいい」と忠告されたと言う。そして実際その日は突然海が荒れ暴風雨になった。
    渋川春海はこの経験から、過去の立春から210日目がどんな天気になっているのか?と言うことを調べ確認した上で、前述の「貞亨暦」に書いたと言う。

  • 立春から210日目と言うと普通9月1日で(旧暦8月1日)で、昔から農村地帯の各地で風に対する祭「風鎮めの祭り」が行われていた。有名なところでは富山県南部にある八尾町でおこなわれている「風盆」があります。これは元禄時代から約290年近く続いています。

  • こうした祭りは、秋の台風シーズン直前のこの日に行われ、自然災害で被害のないようにと言う理由で祈られています。

関東大震災の豆知泉

  • 関東大震災後に、池袋には芸術村と呼ばれる地域があった。

  • 関東大震災の時「家を焼け出され、家族を失った良家の女性が食うに困り、街娼となってたくさん立っている」というデマが流れ、よし人助けをしてやろう!と大勢の男性が町へ彷徨い出たという。

関連項目


記載記録

  • 2000.00.00:知泉

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