ヌード のバックアップ(No.1)
ぬ【ヌード】
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日本ヌードモデル事始め †
- 鎖国が徐々に解けてきた幕末から明治の初期に掛けて、日本にやってきた外人の中で写真機を抱えていた人々は、その長い間の鎖国で築かれた異様な風俗や風景を撮影するのと同時に、日本人女性のヌード写真を多く撮影した。
モデルの多くは水商売の女性たちだった。
- まだ明治になる前、慶応年間に発行された『春窓情史』と言う、浮世草子には、椅子の上に座った女性を撮影している絵が描かれているが、これが本邦初のヌード撮影風景と云われている。
まだこの時代は「芸術」と云う概念の中にヌードは含まれておらず、興味本位の春画の延長と見られていた。
- ヌードが芸術として考えられるようになったのは明治20年頃のことで、洋画家の先駆者・黒田清輝はモチーフに裸体を選び多く描いた。
その中の1枚「朝粧」を明治28年博覧会に出展した処、風俗壊乱だと騒がれ、その結果主催者は黒い布で絵の一部を隠すという自主的規制に出た。
- 洋画のモチーフとして裸婦は多く選ばれるもので、画学生たちにも求められたが、そのモデルを捜すのにも一苦労したと言う。
その当時、東京で美術学校にモデルを斡旋する仕事をしていたのは1軒しかなく、その社長は宮崎キクというお婆さんで、彼女は町でめぼしい女性を見つけると尾行して家まで押し掛けて頼んだと云う。
- が、今とは比べようが無いほど固い時代だったために成功するのは本当に希だったと言う。
しかし1日で3円と言う高報酬につられて承知する人もいた。
が、モデルを裸にして台の上に立たせるまでが一苦労で、さらにポーズを取らせるまでが一苦労だったと云う。
ヌードの豆知泉 †
- モデルを使ってはじめてヌードを書いたのは、明治9年に開校された工部美術学校生である。
ただし、女性がヌードになってくれるご時世ではなく、工部省の常雇いの男性がモデルだった。
1月15日 アダルトの日 †
- 1947(昭和22)年.1月15日、日本初のヌードショーが開演されました。
東京・新宿の帝都座の5階劇場で、額縁に裸体の女性が現れる「額縁ショー」が上演され、人気を呼びました。裸体画に見たてたもので、出演した女性はただじっとしているだけでした。
6月9日 ポルノの日 †
- 由来は、いわゆる「69」ってことで6月9日をこう呼びます。
といいつつ、この名称が一般的になったのは80年以降にAVが登場してからの話です。
70年代以前は(あいなめ)という呼ばれかたなどをしていました。
というか、この行為自体一般的ではなく、かなりプロフェッショナルなワザだったのです。
更新履歴 †
- 1999.00.00