キャプテンクック のバックアップ(No.1)


人名き【キャプテンクック】

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  1. アラスカ州アンカレッジ

簡易年表

1728年10月28日(00歳)ジェイムス・クック(航海士)イギリスに誕生
1768年08月25日(40歳)イギリスの探検家キャプテンクックが第1回航海でプリマスを出港
1777年12月24日(49歳)探検家クックが太平洋の小島に到着「クリスマス島」と命名
1778年03月07日(50歳)クック船長・ハワイ島を発見[関連項目:サンドイッチ
1779年02月14日(51歳)キャプテン・クック(探検家)死去・享年50

クックの最期

  • 大航海時代のヒーローとして大きな功績を残したイギリスの航海士キャプテン・クック(ジェームズ・クック)。
    彼は約10年間キャプテンとして3回の航海を続け、タヒチ・ニュージーランドオーストラリア南極圏・西南太平洋諸島・ハワイ諸島・北氷洋(ベーリング海峡)などの多くの未開発の場所を調査しました。
    [ニュージーランドにある最高峰の名前がクック山と呼ばれている]

  • その最期の航海となったのは、1779年に訪れたハワイで、何故最期になったのかと言うと、そのハワイで殺されてしまったからなのです。
  • 実はクックたち一行がハワイを訪れた時とは、彼らが信仰する豊作と幸福のロノ神に捧げるための収穫祭を行っている最中でした。
    そんな最中に、ロノ神がカヌーに乗って去っていったとされる方角の海から、そのケアラケクア湾に見たこともない船で奇妙な服装を着た人々がやってきたのですから、島民達はクック一行を神の化身と思ってしまったのです。

  • しかもクック達の乗っていた帆船のマストの形が偶然にもロノ神の彫物と似た形だったとも言われています。
    そうしてクック一行は住民から大歓迎をされ、祭りの儀式に参列することになってしまったのです。その滞在は三週間にも渡ったのですが、その間、島の人々は最大限のもてなしをしました。
    実はこの時、クック船長たちは何故このように盛大にもてなされているのか判っていなかったとも言われ、結局お互いが誤解したままだったと言われています。

  • そして三週間後、クックたちは島を離れることになったのですが、出航してすぐ船の帆柱にヒビが入っているのに気が付き、その修理のためにケアラケクア湾に引き返すことになったのです。
    実はハワイの人々は、ロノ神の化身がやってきたために彼らの要求することをすべて応えていたために、三週間精一杯もてなして食糧も底をつき、へとへとになっていたのです。
    だからクック達を送り出した時には正直、ホッとしていたと言われています。

  • それなのに、引き返してきたクック達にビックリしてしまい、中には悪意を抱くものもいたとされていますが、さらに悪い事にマストの修理中に船員のひとりが事故で亡くなってしまったのです。
    彼らはロノ神の使いは不死だと思っていたのに、それは違うと言うことが解ってしまったのです。
    そのうちに住民の中にはクックたちの荷物を盗むような者も出始め、結局両者の間に争いが起こり、クックはその争いに巻き込まれて死んでしまったのです。

  • 別の説では、ロノ神と間違われて滞在していたクックたちが出航しようとした時に、ハワイの住民たちから「ロノ神を別の場所に行かせてはならない!」と言う理由で殺されてしまったと言う物もあります。
    どっちにしても、クックは死亡後、本当にハワイで神の使いとして祭り上げられ墓碑が作られることになったと言います。
    さらにハワイの住人達は、その後ハワイを訪れるイギリス人をみる度に「ロノはいつ戻ってくるのだ?」と尋ねたと言われています。

更新履歴

  • 2000.00.00
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