象 のバックアップ(No.3)
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- 象 へ行く。
- 1 (2006-02-17 (金) 22:56:46)
- 2 (2006-02-25 (土) 09:56:50)
- 3 (2006-02-28 (火) 00:36:30)
そ:象(ぞう)
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象の豆知泉 †
- 動物園の象の飼育係はどんなに偉い人にも象の前では敬語は使わない。上下関係を察した象にナメられ踏み殺される恐れがあるため。
- 英語で「白い象:white elephant」と言ったら「ありがた迷惑」を意味している。タイ国?では白象は神聖な動物とされているが、餌代がとんでもなくかかるので、王が気に入らない家来に与えた、という逸話から。
- 1983年8月11日:上野動物園の象のインディラ死去/享年49
- 名前はネール首相の娘で、後にインドの女性首相になったインディラ・ガンジーから付けられた。
- ゾウの出産数は1回1頭と決まっている。さらに2年以内に次の出産はないためにゾウの年子はあり得ない。
- そもそも象の発情期は5年に1度。
- ゾウの鼻はどんなにちいさな針でもつかむことができるほど高性能。
象来日 †
- 象が日本に来たもっとも古い記録は鎌倉時代にある。 その後、室町時代にも来たという記録が残されている。
- もっとも有名な象来日の記録は8代将軍・徳川吉宗?の時で、そもそものキッカケは吉宗が「象が見たい」と語った事からだとされている。 それに応えて、1728(享保13)年に中国人商人がベトナムから長崎港へつがいの象を連れてきた。しかしメス象は体調不良で3カ月後に死んでしまい、オス象だけを江戸に連れて行くことになった。 象は国賓級の待遇を受け、行く先々の宿場へは前もって「立派な馬屋を用意すること」「大量のエサを用意すること」「象は神経質なので馬や牛の鳴き声で驚かせてはいけないので通りから離れた所へ隔離しておくこと」などのお触れが出されていたという。
- その象様一行は江戸に向かう前にもう一つ大きな目的があった。 それは京都で、中御門天皇(なかみかど)が「わらわも象が見たいぞ」と所望したため、御所へ立ち寄るという事だったのです。 しかし、御所の中には無位無官のものは参内する事が出来ないという規則があったため、急遽「象様が位階持ちなら文句あるまい」と『広南従四位白象』という官位名が授けられる事になった。この従四位という位階はそこそこ大きな大名並の物。 こうして中御門天皇に朝見(ちょうけん)できた象は、その後、中山道→美濃路を経て東海道を下り、箱根を越えて江戸へ入る。
- その後、江戸はしばらくの間「象ブーム」に沸き立つのだが、そのブームもいつの間にか沈静化し、江戸城では「飼育費が掛かりすぎる」とのことで民間払い下げを命じたが応募者の中に象を飼育できるだけの適任者がなく、そのまま13年間も浜御殿で隠居生活を送り、天命を全うしたのです。 その時の飼育係は中野村百姓・源助という者。
- その亡くなった象は現在、中野区・宝仙寺で供養されており、寺宝の 1つとして象の頭骨と牙がある。
4月15日 象供養の日 †
象牙を扱う業界の団体・東京象牙美術工芸協同組合が制定。
1926(大正15)年4月15日、はじめて象供養が行なわれました。
記載記録 †
- 2006.02.27:知泉