我修院達也 のバックアップ(No.30)


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【若人あきら】わかと・あきら
【我修院達也】がしゅういん・たつや
誕生日:1950(昭和25)年12月10日
出身地:東京都渋谷区広尾
血液型:B型  
本 名:菅野彰之介
学 歴:東京都立広尾高校(中退)
所 属:業務提携で名前を載せている事務所は多々あるが所属ではなく、実際はフリーである。

  • 文字変換ミス等で我修院の修の字を間違えて「我衆院」又は「我集院」と書かれている事が多々ある(時にはテレビ出演の際テロップが間違っていた事もある)読み方は同じでも1文字違えば全然別人の事である。中にはファンクラブと称するグループ名が「我集院」などと間違っている事があるが正しくは「我修院」である         
  • 91年の熱海事故以来プライベートな事は一切何も公開したがらなくなってしまった(担当マネージャー・談)    

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  • 職業・タレント・歌手・俳優・声優・作詩・作曲・編曲家
    • 音楽プロデューサーをやりながらピアノやギターでプロ歌手の歌唱指導もしていて弟子が41名いる。
  • 近々俳優(怪優)学校の講師に任命される!との噂あり。
  • *我修院達也に改名後は旧芸名を一切使用しておらず「若人あきらさんと呼ばれる事は不本意です!」と旧芸名で呼ばれる事を非常に嫌がる。 
  • 現在、テレビや映画等で変なキャラ声や表情でお馴染みであるが、あれはそういうキャラ役の注文なので、わざと表情や声を作って演じている。年表の出演履歴に(地声)とある作品は普通の自分の声でキャラも素で出演している。

───1950(昭和25)年(00歳)─────────

  • 東京都渋谷区広尾に生まれる
    • 父は元日本軍の優秀な狙撃兵で終戦後銀座で理髪店を経営・母は元女優
    • 隣の家は福澤諭吉の子孫で、父の戦友でもある福澤家であった。父が福澤家から譲り受けた絵巻物や彫り物は、後に我修院が「何でも鑑定団」に提出。江戸時代末期の本物であると鑑定されて高値がついた。  

───1951(昭和26)年(00〜01歳)────────

 

───1952(昭和27)年(01〜02歳)────────

───1953(昭和28)年(02〜03歳)─────

  • 初舞台は3歳で銀座の祭りで春日八郎の「赤いランプの終列車」を唄う

───1954(昭和29)年(03〜04歳)────────

  • ラジオから流れる高峰美枝子の「情熱のルンバ」を鼻歌で唄っていると父に拳で殴られ「もっと腹から声を出せ!口を縦に開けて喉の奥も縦に開けろ!」と3歳からスパルタ歌唱教育を受けた。父は理容師だが譜面の読み書きができ、声楽やピアノ・テナーサックス他10種類の楽器ができて理容師仲間でツェッぺリンという楽団を組みバンドリーダーをしていた。

───1955(昭和30)年(04〜05歳)────────

  • 地元恵比寿の夏祭りで大人の部しかないのど自慢に出て「情熱のルンバ」を父に教わったとうりに唄い優勝!!
    • のど自慢は大人しか出られない、と断られたが父が「うちの子は、そこらへんで唄って得意になってる大人を負かすぞ!この子に唄わせないと審査員は後で必ず後悔するぞ!!」と言って出場させたのであった。

───1956(昭和31)年(05〜06歳)────────

  • 映画「異母兄弟」で中村賀津雄の少年時代役でデビュー!!

───1957(昭和32)年(06〜07歳)────────

  • 元女優の母がマネージャーとして必死で息子を映画会社に売り込みをかける。母の後輩で当時まだ無名だった渥美清さんよりも数ケ月デビューが早かった我修院の事を渥美清さんは「先輩坊や」と呼び、セリフの稽古相手や、まるで我修院の使いっ走りのようにチョコレートやラムネを買いに行ったりしてくれて我修院の家にも遊びに来たりしてくれていた(母の生前を知る映画会社スタッフ談)

───1958(昭和33)年(07〜08歳)────────

  • 映画「私は貝になりたい」フランキー堺の息子役で出演。
  • 東宝映画「重役の椅子」池部良の息子役で出演。

───1959(昭和34)年(08〜09歳)────────

───1960(昭和35)年(09〜10歳)────────

───1961(昭和36)年(10〜11歳)────────

───1962(昭和37)年(11〜12歳)────────

  • 作曲家北原じゅん氏に師事し、歌、作曲、編曲、器楽を学ぶ

───1963(昭和38)年(12〜13歳)────────

  • 玄制流空手(現在の体道)道場に入門。

───1964(昭和39)年(13〜14歳)────────

  • 空手3級検定合格。

───1965(昭和40)年(14〜15歳)────────

  • 玄制流空手道実戦試合にてバトルで勝ち抜き、決選で25歳の初段を破り優勝!!
    • 空手1級検定合格。

───1966(昭和41)年(15〜16歳)────────

───1967(昭和42)年(16〜17歳)────────

  • 父が癌で他界・高校を中退して歌手になる事を決意!猛レッスン開始
  • 食べる為に渋谷のナイトクラブで弾き語りをやろうとしたが年が若過ぎて断られる。父のスーツを着て髪型を変え髭を生やしてみると22〜23歳に老けて見えると言われた事で思いつき「22歳です」と6歳偽り銀座のナイトクラブで弾き語りになる。

───1968(昭和43)年(17〜18歳)────────

  • 演歌歌手「桜一平」としてデビュー!
    • 霧島昇、並木路子、淡谷のり子等、ビッグ歌手の前座歌手として全国を巡業。まだシンガーソングライターというジャンルが無い時代に作詩・作曲・編曲・唄という幅広い音楽活動を手掛けたが業界筋では好評であったのとは裏腹に隠し芸としてショ−の中で披露する歌真似の方が好評で、真面目顔で唄う演歌のオリジナル曲より歌真似がウケてしまう。

───1969(昭和44)年(18〜19歳)────────

  • 若戸章に改名
    • この頃、無名のタレントは事務所の移籍時に新事務所の社長が新芸名をつける事が多々行われていた

───1970(昭和45)年(19〜20歳)────────

  • ナイトクラブで弾き語りをしながらキャバレーでは軍歌・演歌・炎歌・艶歌・怨歌を唄い巡業する。
  • 同時に歌謡教室も開設して弟子をデビューさせ、若くして作詩作曲編曲家の先生と呼ばれていた。

 

───1971(昭和46)年(20〜21歳)────────

───1972(昭和47)年(21〜22歳)────────

  • 郷ひろみさん「男の子女の子」で歌手デビュー!
    • 既成の歌手には無い声質と、そのインパクトの強さに魅了され、いつか曲を提供したい!と思う。

───1973(昭和48)年(22〜23歳)────────

───1974(昭和49)年(23〜24歳)────────

───1975(昭和50)年(24〜25歳)────────

───1976(昭和51)年(25〜26歳)────────

───1977(昭和52)年(26〜27歳)────────

───1978(昭和53)年(27〜28歳)────────

  • 1978年05月17日〜1979年02月07日「ムー一族(TBS)」ドラマ出演をきっかけに  ナイトクラブの弾き語りを辞め、歌手としてのテレビ出演を目指して色々な企画  を練るが事務所サイドと意見が合わずに思うような成果は見られなかった。  それでも「解ってくれる人が必ず出てくる」と信じて頑張る事を決意!!

───1979(昭和54)年(28〜29歳)────────

  • 30歳迄に名を売りたい!!と、ひたすら頑張る!!
    • 東映映画「喧嘩道」七色の声を使い分けるチンピラ化粧役で出演
  • 1979年02月『こちら葛飾区亀有公園前派出所(集英社)7巻』
    「お祭り男両津先輩に拍手!!」という文章を出版社からの依頼により寄稿
    (若戸章の大ファンという某記者がファンサークルを結成して応援してくれたので当時はこのような紙面の仕事は多々あった) 

───1980(昭和55)年(29〜30歳)────────

  • 事務所移籍で若戸章から「若人あきら」に改名、テレビで隠し芸の郷ひろみさんの歌マネ(当時誰もマネしていなかった)をしたのが当たって一躍マスコミの話題となり「放送演芸大賞ホープ賞」受賞!郷さんとの共演番組も増えて、郷さんの御両親、妹さんともお会いでき、お宅にお邪魔させて戴いたりお付き合いが始まる・・・しかし…レギュラー番組も増え知名度は上がって忙しくなるが、歌マネの仕事ばかり増え歌手としての活動が思うように進展せず「このままでは声帯模写タレントだと思われてしまう」…と焦るが、本人の意思とは裏腹に「歌マネの若人あきら」はどんどん一人歩きして行った。「モノマネ芸人」とか「お笑い芸人」と言われると急に人が変り無差別でキレた。
    • この頃から情緒不安定でノイローゼ気味になり、精神科に通院、精神安定剤を服用するようになる。
  • 1980年08月:江口寿史「すすめ!!パイレーツ(集英社)7巻」
    巻末の解説で『夢の中までパイレーツ!?』という文章を出版社からの依頼により寄稿

───1981(昭和56)年(30〜31歳)──

───1982(昭和57)年(31〜32歳)────────

───1983(昭和58)年(32〜33歳)────────

───1984(昭和59)年(33〜34歳)────────

───1985(昭和60)年(34〜35歳)──

  • 歌マネで売れた事を不本意に感じ、本来の歌手としてオリジナルでの活動を決意。歌マネのイメージを払拭!!軌道修正の為にテレビの歌マネ番組からの出演依頼を全て拒否。その結果テレビに出ない日が続く…「テレビに出られない」のではなく歌マネ番組やお笑い番組からの出演依頼を断り続けて自らの意志により「出ない!」のであった。

───1986(昭和61)年(35〜36歳)────────

  • レコーディングスタジオを設立・プロ歌手のレコーディングやカラオケの音源制作・歌謡学院を始める。歌マネを辞めて歌手としての音楽活動も充実した日々となる。精神状態も安定してきた。同時期に会員制クラブも開店している。

───1987(昭和62)年(36〜37歳)────────

───1988(昭和63)年(37〜38歳)────────

───1989(昭和65〜平成元)年(38〜39歳)────

───1990(平成02)年(39〜40歳)────────

───1991(平成03)年(40〜41歳)────────

  • 1991年:3月3日午後3時頃熱海市の和田浜海岸で釣りの最中に事故に遭い、3日後に小田原城跡公園前で記憶障害状態で発見される。本人の記憶が無い為に状況説明ができずマスコミは裏が取れていない憶測だけで色々な説を報道。精神科から退院後もマスコミに追われる…必死のリハビリを終え通院しながらも何とか仕事に復帰するが、自律神経をやられ、不安神経症になり誰とも口をきかなくなり人嫌いになる。「僕の周りは皆敵だらけで信用できない!信じられるのは精神科医だけです」と言っていた。
  • この記憶喪失事件については本人に独占で直接取材をした「未発表」の詳しい記事原稿が訳あって今も眠っているという(担当マネージャー・談)         
  • 1991月12月:Vシネマ「水物語(バンダイビュジュアル)」(釣りの最中に記憶喪失になる役)

───1992(平成04)年(41〜42歳)────────

  • 若人さんと呼ばれると「記憶喪失さん」と呼ばれたような気がして嫌なのと心機一転の為に改名を考える。

───1993(平成05)年(42〜43歳)────────

  • 我修院達也へ4度目の改名・大作曲家ジョージガーシュインから捩ったと思われがちだが、そうではなく我修院の菩提寺の住職に依頼して経文の中から引用して付けて戴いた芸名である。それ故にこれ以上は改名しない事を誓う。

───1994(平成06)年(43〜44歳)────────

───1995(平成07)年(44〜45歳)────────

───1996(平成08)年(45〜46歳)────────

───1997(平成09)年(46〜47歳)────────

───1998(平成10)年(47〜48歳)────────

───1999(平成11)年(48〜49歳)────────

  • 1999年06月14日〜1999年07月05日「コワイ童話 不思議の国のアリス?(TBS)」帽子屋支社長役
  • 1999年02月:映画「鮫肌男と桃尻女(東北新社)山田正一(キャラ声確立)」*この作品のヒットで多くの支持を得る。                                                   
  • 1999年  :日本テレビ「夜もヒッパレ」出演。  
  • 1999年08月06日「女医レイカ(CX)夏の恐怖ミステリー(1)」精神科の患者役(地声で出演)

───2000(平成12)年(49〜50歳)────────

  • 2000年02月:テレビ東京「何でも鑑定団」出演。
  •      :フジテレビ「ナインティーンナインのめちゃイケ」出演
  • 2000年08月:Vシネマ「悪銭狩り(ミュージアム)」町工場の社長役(地声で出演)
  • 2000年12月:映画「PARTY7(東北新社)」若頭・磯村忠(いそむら ちゅう)役  

───2001(平成13)年(50〜51歳)────────

───2002(平成14)年(51〜52歳)────────

  • 2002年05月21日〜2002年06月11日「TEXAS?(CX)演技者。」ヤクザの組長役
  • 2002年09月:Vシネマ「危険をかう男2(ケイエスエス)」変な刑事役
  • 2002年11月:映画「AIKI(日活=バップ)」郵便配達員役

───2003(平成15)年(52〜53歳)────────

  • 2003年10月06日 〜 2003年12月15日・月9レギュラー「ビギナー(CX)」司法修習生で裁判官志望の田家六太郎(たけろくたろう)役
  • 2003年10月:フジテレビ「笑っていいとも秋の祭典スペシャル」ゲスト出演
  • 2003年12月:フジテレビ「笑っていいともクリスマス特大号」ゲスト出演(香取慎悟さんが我修院達也のモノマネをしているところへ我修院本人が登場して大ウケ!)

───2004(平成16)年(53〜54歳)────────

  • 2004年01月:日本テレビ金曜ロードショー「アルマゲドン」スティーブ・ブシェーミの声吹き替え
  • 2004年02月:TBS「ディスカバ!99」ゲスト出演
  • 2004年04月:テレビ東京「裏ジャニ」ナレーション(4月〜7月レギュラー)
  • 2004年05月:日本テレビ「ダウンタウンDX」ゲスト出演
  • 2004年05月:日本テレビ「アッコとマチャミの新型テレビ」ゲスト出演
  • 2004年07月:日本テレビ「いつみても波瀾万丈」出演
  • 2004年07月:テレビ朝日「GIRLS A GOGO!美少女クラブ」ゲスト出演
  • 2004年07月:フジテレビ系テレビ新広島制作ドラマFFSソフト工場「六畳裁判」超状現象研究家の千駄ヶ谷先生役       
  • 2004年07月:映画「茶の味(「茶の味」製作委員会)」轟アキラお爺役
  • 2004年08月30日〜2004年09月20日「犯人デカ?(CX)」変な目撃者役
  • 2004年11月:映画「ハウルの動く城(「ハウルの動く城」製作委員会)」(声)火の悪魔カルシファー役
  • 2004年  :映画・栗田やすお第1回監督作品パペットアニメ「緑玉紳士」ジョーカー(アンドラス)役(声)
  • 2004年  :東宝系洋画実写日本語版「ピーターパン」オームの声吹き替え       

───2005(平成17)年(54〜55歳)────────

  • 映画「地獄プロレス」愛田剣役
  • 日本テレビ・ドラマ「恋のから騒ぎ」コンビニの変な客の役
  • TBSドラマ「花より男子」エレベーター修理のおじさん役

───2006(平成18)年(55〜56歳)────────

  • 2006年10月:映画「赤龍の女」殺し屋音松1号役
  • 日本テレビ「Yоuたち!」ナレーション役でレギュラー出演(2006年10月〜2007年10月1年間)

───2007(平成19)年(56〜57歳)────────

  • 2007年07月09日〜2007年09月17日「ファースト・キス(CX)」チーフスタイリスト役
  • 2007年10月第11回韓国プチョン国際ファンタスティック映画祭正式招待作品「逃亡くそたわけ」妄想の中に出てくる茶髪の日本兵役
  • 2007年12月:郷ひろみの「Good Times Bad times」PVに出演!郷ひろみさんと25年ぶりの共演を果たす!!
    タイアップCM「CR GO!GO!郷 SECOND STAGE」でも共演。

───2008(平成20)年(57〜58歳)────────

  • 元旦  :(株)ニューギン販売・パチンコ新台「CR GO!GO!郷SECOND STAGE」CM・O,A(1月〜3月)
  • 1月12日:テレビ東京「紅蓮女」こごろー役(声)でレギュラー出演。(1月12日〜3月28日)
  • 2月1日 : TBSテレビ金曜ドラマ「エジソンの母」公園を作る工事現場主任渡部役でゲスト出演(地声)
  • 3月14日:新作映画「トライアングルコネクション」バーのマスター桑原役・クランクイン

───2009(平成21)年(58〜59歳)────────

───2010(平成22)年(59〜60歳)────────

───2011(平成23)年(60〜61歳)────────

───2012(平成24)年(61〜62歳)────────

───2013(平成25)年(62〜63歳)────────

───2014(平成26)年(63〜64歳)────────

───2015(平成27)年(64〜65歳)────────

───2016(平成28)年(65〜66歳)────────

───2017(平成29)年(66〜67歳)────────

───2018(平成30)年(67〜68歳)────────

───2019(平成31)年(68〜69歳)────────

───2020(平成32)年(69〜70歳)────────

───2021(平成33)年(70〜71歳)────────

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