門松 の変更点


 [[か]]【かどまつ:門松】
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 *門松の豆知泉 [#v333ebf0]
 -歳神様を家々に迎えるための依代(よりしろ/降りてこられるところ)。家の入り口となる門前を清めるための飾り物で、長さを違えた三本の[[竹]]に松を束ね、梅の枝をあしらって荒縄で縛ったものが代表的な形。 
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 -門松は、12月の29日(苦立て)と31日(一夜飾り)を避けた日に出す。30日でもよいが、出来るなら28日前に出す。~
 外すのは、松の明ける6日夕方か7日に外すのが習いとなっている。 
 
 *知識 [#n84c372b]
 -門松の元祖は、平安末期から鎌倉時代にかけて普及したとも言われています。~
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 -『徒然草』十九段にも「かくて開けゆく空の気色(中略)大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ」と描かれている。~
 松を立てることによって、歳神(としがみ)が松を伝わって来臨したと考えられていた。~
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 -門松を立てた由来は、内裏(皇居)の門松に鉾を立てたのが変化したという説、中国の唐時代の風習が入ってきたと言う説があるが、明らかではない。~
 
 
 *知識 [#ab132cf7]
 -正月に[[玄関]]口にたてる現在の「[[竹]]と[[松]]を使った門松」は戦国時代からの物。~
 門松を考案したのは松平家(後の徳川家)で、門松の松は松平家・竹は武田家を意味している。~
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 -竹を斜めに切って飾ると言う事から、宿敵武田家を切り倒すと言う意味が込められ、その竹を松が取り囲むと言う図式になっている。~
 その事もあって、武田家の地元・[[山梨県]]では竹のみの門松を飾る家が多い。~
 
 *最初は庭に [#qa41f76f]
 -お正月に家の入り口に立てる《門松》ですが、江戸時代以前には庭に1本だけ立て、その庭に[[神様]]が降りてくる時の目印としていたものだったと言われています。~
 元々、正月というのは神様が地上に降りてくるのをお祝いするものだったのです。~
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 -何故門松を庭に立てていたのかと言うと、その時代《門:かど》と言う言葉は庭園を意味していて、入り口などのことは《もん》と呼んでいたのです。~
 それが次第に庭園を《かど》と言う言い方が廃れ、それと同時に入り口のことを《門:かど》と言うようになって来たために、門松を入り口付近に立てるようになり、さらに入り口を守る魔除けの意味が含まれてきたのです。~
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 -最初の庭に立てた頃は1本だけでしたが、その後中国の信仰では仏前はつねに対になっているべしと言う物があるために、門松も対で立てるようになったのです。~
 もともとの仏教には対の思想はなく、門松に限らず、花・香・灯火などもすべて1本だったのです。
 
 *更新履歴 [#k020ba17]
 -1999.00.00
 
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