漫才 の変更点


 [[ま]]【まんざい:漫才】
 #counter(today)
 
 *万歳→漫才 [#ad06d426]
 -マンザイの歴史は、[[奈良時代]]に隋や唐から伝わった踏歌(とうか)が変遷した物と言われている。~
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 -古い物では「三河万歳」と言う物が有名だが、日本各地にそれぞれの万歳が存在する。~
 この場合のマンザイとは歌や舞いが基本となる物で、現在言われているしゃべり中心の漫才とは似ているがまったく違う物。~
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 -最も古い物とされているのは、[[福井県]]武生市味真野町に伝わる野大坪万歳と言われている。~
 起源は継体天皇(26代天皇・507〜531年)の即位以前と言うのでかなり古い。~
 これらに「万歳」の名が付いたのは、祝いを意味する中国故事の「千秋万歳/せんずまんざい」からで、やがて宮中の芸事になっていった。これは「バンザイ」と語源は同じ所にある。~
 
 
 *しゃべくり漫才 [#q2551050]
 -しゃべくりの漫才のルーツは明治中期に、関西で江州音頭や河内音頭などを歌っていた芸人が、正月に掛け合いをやっていたのが最初と言われている。~
 この当時のしゃべくり漫才は、まだ[[音楽]]の要素が残っていて、鼓と張り扇で[[リズム]]を取りながら行う物だった。~
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 -現在の物と同じ様な完璧なしゃべくり漫才になったのは、[[1934(昭和9)年>1934年]]当時、関西で絶大な人気を誇っていた横山エンタツ・花菱アチャコが最初に行ったと言われている。~
 ネタも「早慶戦」など庶民の関心のある内容の物だった為に、人気を博した。~
 その翌年、[[1935(昭和10)年>1935年]]、二人が所属していた吉本興業が「漫才」と言う名称を考案して流行らせた。
 
 *関西・関東 [#kd9a47af]
 -では漫才とは関西の専売特許か?と言うと、実は横山エンタツ・花菱アチャコとほぼ同時期に東京でも同じ様なスタイルの話芸が人気になっていた。~
 元々は[[落語]]の名門・柳家に居た柳家梧楼と柳家緑朗と言う中堅落語家が一緒に高座に上がりその時々の時事ネタなどを会話風に綴るものがあったのです。~
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 -これは関西が先とも関東が先とも不明ですが『漫才』と言う名称は関西の吉本興業が発案した物です。~
 この当時から西東の落語界はハッキリ分かれていましが、昭和初期の東京落語の第一人者だった柳家金語楼は吉本興業と組んで色々な処で興業をしていたので、それなりに交流はありました。そして実は、柳家梧楼と柳家緑朗の二人は柳家金語楼の弟子だったのです。~
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 -吉本の横山エンタツ・花菱アチャコと同時期と言うことでは、梧楼が「リーガル万吉」緑朗が「リーガル千太」と名乗り、昭和8年にコロムビアレコードと専属契約を結んだと言う記録が残されています。(吉本が漫才という名前を考案する以前)~
 その後、この二人の弟子の「リーガル天才・秀才」さらにその弟子の「春日三球・照代」などに続きました。
 
 *更新履歴 [#z727fe67]
 -1999.00.00
 
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