丙午 の変更点


 
 [[ひ]]丙午・八百屋お七(ひのえうま・やおやおしち)
 #counter(today)
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 *丙午には気を付けろ [#ve44f0c3]
 -よく[[干支]]で『丙午(ひのえうま)生まれの女性は夫を殺す』などと物騒な事を言われ、その気性の激しさを言われたりします。~
 なんでも、丙午にはそれを避けてか[[出生率>出産]]も下がると言われています。~
 最近の丙午は1966(昭和41)年だったのですが、どうでしょうか?~
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 -これは色々な説があるのですが、元々「丙午の年には[[火事]]が多い」と言う[[噂]]があったらしいのです。~
 つまり元々「丙午には気を付けろ」と言う江戸庶民の俗信があった上に、[[八百屋]]お七の話が付加された結果「丙午の女」と言うのが、悪者のように言われるようになったのです。~
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 *八百屋お七 [#n59abafc]
 -八百屋お七の話は[[井原西鶴]]の浮世草子『好色五人女』の1編となり有名になりましたが、史実的にはモデルらしき女性が実在したらしいのですが、諸説あって明確ではないそうです。~
 八百屋お七の話とは以下の通りです(井原西鶴より以前に書かれた『近世江都著聞集』が大元のネタと言われている)~
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 -1981(天和1)年2月、本郷丸山の火災に焼け出された八百屋の娘お七は避難所・円乗寺の小姓左兵衛と恋に落ちる。再び会うにはまた[[火事]]になればよいと、火事場泥棒の無頼漢吉三郎にそそのかされ、3月29日に放火をしてしまう。~
 その結果、お七は当時の法律により鈴ケ森で火刑となり、それを知った左兵衛は出家したと言う。この二人の年齢は16歳だった。~
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 -最近の丙午が1966年だったので、それから5回前の丙午は1666年と言うことなので、確かに数えで16歳なら八百屋お七は「丙午の女」と言う事になります。~
 確かに実在かどうか判りませんが丙午の女お七は放火までしてしまう激しさを持っていましたが、後に言われるような『丙午の女は夫を殺す』と言う迷信までには至っていません。~
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 *舞台物として知れ渡る [#a5aa3fd9]
 -火事から5年後の1686(貞享3)年、[[井原西鶴]]の『好色五人女』でドラマ仕立てになって多くの人の知る処となった。~
 さらに元禄年間(1688〜1704年)には『八百屋お七歌祭文』が流行し、お七の話が社会全体に浸透した。~
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 -正徳年間(1711〜1716年)頃、大阪で紀海音作の『八百屋お七歌祭文』が上演されたのをはじめとして多くの浄瑠璃作品が出来たと言う。~
 特に[[歌舞伎]]では1706(宝永3)年、大阪嵐座で嵐喜代三郎が演じる『七歌祭文』が上演され当たり役になり、その後代々の女形が演じる作品として演じ続けられた。~
 4代・5代岩井半四郎のお七は大当たりをして江戸を代表するヒロインとして定着し、幕末の河竹黙阿弥に至るまで人気は続いたと言う。~
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 -この中から「丙午」と言うキーワードが徐々に浸透し『丙午の女は夫を殺す』と言う処まで一人歩きをしてしまった物と考えられているそうです。~
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 *記載記録 [#qb1e1509]
 -2000.00.00:知泉
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