福神漬け の変更点


 [[ふ]]【ふくじんづけ:福神漬け】
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 *誕生 [#va2e0af5]
 -[[1885(明治18)年>1885年]]、東京上野の[[漬物屋>漬け物]]「酒悦」の15代目・野田清右衛門(のだせいざえもん)が考案した[[野菜]]の醤油漬け。~
 当時、野菜の[[塩]]漬けや[[味噌]]漬けはあったが、[[醤油]]漬けのものはなかった。~
 そこで清右衛門は、[[醤油]]や[[みりん]]などの合わせ汁に漬け込むことを考え、10年あまりの年月をかけて仕上げたとされています。~
 (関連項目:[[登録商標]])~
 
 
 *命名 [#n13dddfa]
 -福神漬けが完成したとき、パリパリと[[歯]]ごたえのある新製品に自信はあったが、念のために美食家で有名だった、梅亭金鵞と言う作家に試食をしてもらった。~
 すっかり気に入った梅亭金鵞はネーミングまで考えてくれた。~
 「酒悦」は[[不忍池]]の弁財天の近くだったので、弁天の[[七福神]]と、材料の[[野菜]]が七種類と言うのを引っかけて「福神漬け」と言う名前を考案した。~
 -しかも「この漬け物を常用する時は、他に副食がなくても済むので贅沢をせず、知らず知らずに金も貯まって福が舞い込む」とキャッチコピーまで考え出してくれた。~
 その為か、福神漬けは発売当初から爆発的に売れた。~
 
 
 *戦争で日本中に [#v408f63f]
 -その後、[[日清戦争]](1894.7〜1895.4)の軍用食料に「旨い上に保存が利く」と指定され、戦後、兵隊達が故郷でも福神漬けを求めたために全国的に普及するようになった。
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 *カレーのお供に [#n949990e]
 -現在、福神漬けといえば[[カレー]]とセットで考えられていますが、それを最初に採用したのは昭和初期の日本郵船。~
 一等客船の食堂がカレーに福神漬けを添えて出したのが元祖。~
 それが大好評で、さらに[[銀座]]の洋食屋「資生堂パーラー」がそれを真似たために、他の洋食屋もこぞって真似をはじめ、現在のように切っても切り離せないような関係になったのです。~
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 元祖カレー&福神漬けをこよなく愛したのは世界の喜劇王[[チャップリン]]。日本から帰国する際、日本郵船で[[イギリス]]に向かったが(まだ旅客飛行機がない時代です)、その船には色々な食事を楽しむことが出来たのですが、昼食は毎日カレー&福神漬けだったという。
 -元祖カレー&福神漬けをこよなく愛したのは世界の喜劇王[[チャップリン]]。日本から帰国する際、日本郵船で[[イギリス]]に向かったが(まだ旅客飛行機がない時代です)、その船には色々な食事を楽しむことが出来たのですが、昼食は毎日カレー&福神漬けだったという。
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 この取り合わせに感動した人物に、[[小林一三]]がいる。阪急百貨店の社長で宝塚歌劇団の生みの親ですが、この完璧とも言える組み合わせに感動し、大阪梅田に日本初のターミナルデパートとして開業した阪急百貨店の食堂で、この福神漬けを薬味に使ったカレーを販売しています。~
 -この取り合わせに感動した人物に、[[小林一三]]がいる。阪急百貨店の社長で宝塚歌劇団の生みの親ですが、この完璧とも言える組み合わせに感動し、大阪梅田に日本初のターミナルデパートとして開業した阪急百貨店の食堂で、この福神漬けを薬味に使ったカレーを販売しています。~
 しかも東京ではカレー1皿50銭という高級品だった時代に、半値以下の1皿20銭にしたのです。~
 そのために、爆発的な人気となり多い日には1日2万5000皿も売れたと言います。
 このお陰でカレーが一般職になるのと同時に福神漬けの薬味も一般的になっていったのです。~
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 *7つの野菜 [#a69ccfd5]
 -福神漬けに使用されている7つの野菜~
 ◆[[大根]]~
 ◆[[蕪]]~
 ◆[[茄子]]~
 ◆[[なた豆]]~
 ◆[[瓜]]~
 ◆[[蓮根]]~
 ◆[[シソの実]]~
 ※初期の福神漬けには瓜・蓮根の変わりに、[[椎茸]]・[[独活(ウド)>ウド]]が入っていた。
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 *記載記録 [#q05e07f6]
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