武士 の変更点


 
 [[ふ]]:武士(ぶし)
 #counter(today)
 ----
 *武士の豆知泉 [#v71a96cd]
 -「ゆすり」の語源は、昔、江戸時代にかご屋が武士を乗せていた時にいらがらせにかごを揺らしていたのに、武士はそのプライドの高さから文句を言わずに金を払った事から「ゆすり」という言葉ができたらしい。
 ----
 -江戸時代、武士の家では[[正月]]の[[お雑煮>雑煮]]を食べるとき、まず菜っぱを箸でつまんで持ち上げた。「菜(名)を上げる」という縁起かつぎである。
 ----
 -で、その上げた菜はお椀の中に戻し、食べずに残した。「菜(名)を残す」である。
 ----
 -武士で最も重い刑罰は、武士階級の剥奪。2番目が斬首、[[切腹]]は3番目。[豆知泉2965]
 ----
 *語源 [#n633a405]
 武士の「武」と言う字は「戈/ほこ」と「止」の二つの文字から成り立っている。~
 「戈/ほこ」で敵の攻撃を「止」める事を「武」と表現した。~
 もう一つには「戈/ほこ」をもって敵陣に攻めていく兵士事を言ったと言う説もある。~
 その場合の「止」とは兵士の足跡を表現している。~
 ----
 *知識 [#abc1baa5]
 -武士の給料は「何人扶持」とか「何万石」とかと言うように、[[米]]の量を基準に支払われました。~
 ちゃんと[[通貨>硬貨]]があるのに、給料を食物の量と換算して支払っていた国は後にも先にも[[日本]]のみと言われています。~
 江戸時代には二合五勺枡と言う計測用カップが使われていました。これは1日2食事代の大人1食分の基準でした。~
 これから「二人扶持」と言うと一日五合の2倍、つまり一升の米を1日分として支払われていたことになります。~
 ----
 -何故米で支払われていたか?と言うと、米が日本の国力のバロメーターとして考えられていたからです。~
 米の出来高が、その土地の領主の力を示し、そこに仕える者達の忠誠度にもなっていたのです。~
 この米の石高制は飛鳥時代に始まっています。~
 この時代は「稲何束」と言うように、脱穀していない米が支払われていました。~
 ----
 *記載記録 [#q4dc47f1]
 -0000.00.00:知泉
 ----
サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ