[[ひ]]:樋口一葉(ひぐちいちよう)
[[人名ひ]]【ひぐちいちよう:樋口一葉】
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*樋口一葉の豆知泉 [#v6dd4791]
-日本の作家の本で一番最初に「全集」と言う言葉が付けられたのは樋口一葉(1897年に博文館刊)
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*樋口一葉 [#n6753ac9]
-明治前期の女流小説家・歌人~
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-1872(明治5)年03月25日 東京生まれ~
-[[1872(明治5)年>1872年]].[[03月25日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=003/25]] 東京生まれ~
本名は奈津で、時にとっては「なつ」や「夏子」と呼んだり表記していた。~
父親は株を購入した御家人で、明治維新以降は下級府吏となった。~
ちなみにまったく誕生日が同じ文学者に[[島崎藤村]](しまざきとうそん)がいる。~
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-1886(明治19)年、14歳の奈津は[[中島歌子]](なかじまうたこ)の萩の舎塾に入門する。~
-1888(明治21)年、長兄が病死をした為に相続戸主となり、さらに翌年1889(明治22)年には父親も死去し、一家を背負うこととなる。~
-[[1886(明治19)年>1886年]]、14歳の奈津は[[中島歌子]](なかじまうたこ)の萩の舎塾に入門する。~
-[[1888(明治21)年>1888年]]、長兄が病死をした為に相続戸主となり、さらに翌年[[1889(明治22)年>1889年]]には父親も死去し、一家を背負うこととなる。~
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-三宅華圃(みやけかほ)の「藪の鶯」などに刺激を受けて、小説で生計を立てようと考える。~
-1891(明治24)年、半井桃水(なからいとうすい)に師事するが、師弟関係が醜聞化して、桃水からは離れることとなった。~
翌年の1892(明治25)年には幸田露伴(こうだろはん)などの影響を受けながら『うもれ木』を書き上げ、それが「文学界」同人の目にとまり、交友がはじまる。~
-[[1891(明治24)年>1891年]]、半井桃水(なからいとうすい)に師事するが、師弟関係が醜聞化して、桃水からは離れることとなった。~
翌年の[[1892(明治25)年>1892年]]には幸田露伴(こうだろはん)などの影響を受けながら『うもれ木』を書き上げ、それが「文学界」同人の目にとまり、交友がはじまる。~
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-下谷竜泉寺町・本郷丸山町での生活を背景にした作品を書き始め、『大つごもり(94)』『ゆく雲(95)』『にごりえ(95)』『十三夜(95)』『われから(96)』 などの作品を精力的に発表するようになる。~
特に『たけくらべ』は[[森鴎外]](もりおうがい)、幸田露伴、斉藤緑雨(さいとうりょくう)などの文学界の大御所からも絶賛を受け、文名はあがったがその中、病気に倒れ
-1896(明治29)年11月23日、24年の短い生涯を閉じた。~
-[[1896(明治29)年>1896年]].[[11月23日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=01/23]]、24年の短い生涯を閉じた。~
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-その生前書かれていた日記をまとめたものが、死後16年も経った1912(明治45)年に『一葉日記』としてまとめられて発表された。~
-その生前書かれていた日記をまとめたものが、死後16年も経った[[1912(明治45)年>1912年]]に『一葉日記』としてまとめられて発表された。~
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