[[は]]【はいゆう:俳優】
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*1895年8月28日 映画俳優 第1号誕生 [#l9e7c97f]
*1895年8月28日 映画俳優 第1号誕生 [#pd31fac8]
-実験段階の[[映画]]の[[フィルム]]には、駅に入ってくる汽車とか、町を歩いている人だとか、その手の物が多く、劇場公開された作品も最初は[[写真]]が動いていると言う事だけで大騒ぎをしていた。~
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-しかし、そのうちストーリーのある物を取りたいと考え始めた。そこで[[アメリカ]]のキネトスコープ興行主、ラフ・アンド・ガモン社のアルフレッド・クラークが[[1895年]].[[8月28日]]に撮影した短い史劇「スコットランドの女王メアリの処刑」と言う作品で初めて演技をする俳優を起用した。~
-しかし、そのうちストーリーのある物を取りたいと考え始めた。そこで[[アメリカ]]のキネトスコープ興行主、ラフ・アンド・ガモン社のアルフレッド・クラークが[[1895年]].[[8月28日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=08/28]]に撮影した短い史劇「スコットランドの女王メアリの処刑」と言う作品で初めて演技をする俳優を起用した。~
処刑をされるメアリ役はキネトスコープ社の会計主任のRLトマス氏が演じた。~
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-この映画の中では、女王メアリが[[ギロチン]]の台に登り首を差し伸べる所で一度フィルムを止めて、人形を差し替えてから首を切り落とすシーンが撮影されている。~
-つまり、このフィルムは俳優が演じた最初の作品である上に、一番最初にトリック撮影をした映画・一番最初のホラー(血が出ないけれどスプラッター?)映画と言う事にもなる。~
*プロの映画俳優 誕生 [#b36edf1e]
*プロの映画俳優 誕生 [#x3b04bcd]
-もっともこのフィルムの俳優は専業俳優ではない。本当に厳密な意味でプロの俳優と言うと、それまでフランスのリヨンのリュミエール邸で庭師をしていたクレルクだった。~
彼はリュミエール製作の「スロサール・ロゼ/ずぶ濡れの水まき男」と言うフィルムにそれまでの仕事の庭師役で出演した。~
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-フィルムはクレルクが花壇に水を巻いている所から始まるのだが、そこへリュミエール社の見習いで14歳の少年デュバルがいたずら小僧役で登場し、ホースを踏んずけて[[水]]を止める。水が出なくなったホースを覗き込むクレルク、そこでいたずら小僧は足を離す。ホースから勢い良く飛び出た水を浴びてクレルクが頭からビショビショになった所を、いたずら小僧がはやしたてる、と言う場面で終わる実にたわいもないフィルムだった。~
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-しかしこの1分程度のフィルムも[[1895年]].[[12月28日]]にパリのグラン・カフェで一般公開されている。~
とりあえず、どちらのフィルムも人が演技したワケだが、前者の「スコットランドの女王メアリ」はのぞき眼鏡式のキネトスコープ用フィルムだった為、スクリーンに映写する今と同じシステムの映画俳優としては、後者の「ずぶ濡れの水まき男」に出たクレルクとディバル少年なのかもしれない。~
*人気女優 誕生 [#f89feb52]
*人気女優 誕生 [#l773cb50]
-その後映画産業も徐々に大きくなり、セットを組んだりして長編が作られるようになると、現在の映画と同じ様に多数の俳優・女優が必要となった。~
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-しかし映画製作会社の考えで、出演者の名前はもともと有名な舞台俳優以外はまったく表に出なかった。それは映画会社が出演者が有名になってスターになった場合、出演料が値上がりしてしまう事を恐れた為と言われている。~
しかし何本か製作されていく内に名前は知られていないが、観客に人気の俳優も出てきた。もちろん画面にはタイトルと製作会社の名前ぐらいしか出なかった。~
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-1907年に映画デビューしたドイツ女優ヘニー・ポーテンもその1人だった。彼女は契約をしている映画会社メスターの名を取ってファンには「メスターガール」と呼ばれていた。~
しかし1909年に彼女自身が脚本を書き、出演をした「盲目の少女の恋」が大成功を収めて話題になってしまったので、メスター社はついにこのスターの実名を公表した。~
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-名前がタイトル部分に登場した途端に映画会社の不安は的中し、ヘニーは月給の値上げ交渉をはじめた。~
最初は値上げを拒絶した会社側だったが、一番人気のヘニーに辞められては困るので、けっきょく値上げを承諾した。~
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-その結果、ヘニーは名前が出るだけで観客が呼べると言う最初の映画スターとなり、ドイツ・サイレン映画界に君臨した。~
*作られた人気女優 [#n6b8cdd3]
*作られた人気女優 [#be91abeb]
-アメリカ映画界はドイツとは違い、逆にスターを作ることを重視した。その為に、実力ではなく策略を駆使してスターを誕生させていた。~
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-1910年インプ社は別会社と契約していた無名女優のフロレンス・ローレンを引き抜いた。そして新聞に「ローレンスが市電事故で死亡した」と言う嘘のニュースを流した。~
見栄えの良い未来ある新人女優の悲劇に一般の関心が集まった処で、インプ社は『現「インプガール」のローレンス嬢が死亡したと言うのは悪質なデマである。彼女は我が社の最新作「傷心の小径」に出演が決定している」と言う[[広告]]とも言える声明文を[[新聞]]に掲載した。~
こうしてローレンスは会社の思惑通りにスターとなり、サイレント映画で大活躍した。~
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-しかし国際的な名声を得た彼女だったが、トーキー時代の到来と共に人気が堕ち、最後はエキストラにまでなってしまったと言う。~
そして1939年に自殺をした。~
そして[[1939年]]に自殺をした。~
*更新履歴 [#tba7f522]
*更新履歴 [#f5353642]
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