同潤会 の変更点


 [[と]]【どうじゅんかい:同潤会】
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 *同潤会:近代的アパートの始まり [#a8463061]
 -大正12年に起こった大災害・[[関東大震災]]により東京を中心とした地域は住宅難がひどく、それは昭和になっても続いていました。~
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 -同潤会は関東大震災の時に各地より寄せられた義援金(約1000万円)をもとに設立された組織で、大正期から昭和初期に住宅建設の中心となり、木造7000戸、鉄筋[[コンクリート]]のアパート2000戸を計画しました。~
 -[[1925(大正14)年>1925年]]にアパートなどの建築に着手し、昭和初期までに東京の中之郷・青山・代官山など15箇所に2501戸のアパート(集合住宅)を建築した。~
 -特に鉄筋アパートは耐震設備・耐火設備も考慮され[[ガス]]・[[電気]]・[[水道]]・水洗[[トイレ]]なども備えた近代的アパートでした。~
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 -[[1926(大正15)年>1926年]].[[08月06日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=08/06]]・同潤会が東京向島に日本初の公営鉄筋アパートを建設/水道・電気・ガス・水洗トイレが完備された本格近代的アパート~
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 -[[1926(大正15)年>1926年]].[[11月26日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=11/26]]・同潤会が東京代官山に建てた文化アパートに申し込みが殺到/1日で500人/人気は6畳&4.5畳に4.5畳のバルコニー付の部屋~
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 #ref(http://tisen.jp/tisen/g82/82064.jpg,around,nolink,right)~
 -同潤会は[[1941(昭和16)年>1941年]]にその目的を終えたとして解散しましたが、そのアパートの管理などは住宅営団に引き継がれました。~
 その当時に建設されたアパートは現在も東京の青山などに残されています。~
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 -江東区にあった同潤会清砂通アパートは2001(平成13)年に取り壊されましたが、1927(昭和2)年に建設が始まった同潤会アパートの中では最大規模の物だったそうです。~
 以前は社会党の浅沼稲次郎委員長も住んでいました。~
 #clear
 *更新履歴 [#qb2a4189]
 -2002.06.27
 
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