藤田東湖 の変更点


 [[人名ふ]]【ふじた とうこ:藤田東湖】
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 *1855年10月02日 安政の大地震 [#lea4a535]
 -[[1855(安政2)年>1855年]].[[10月2日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=10/02]]の夜10時頃、[[江戸]]を中心として推定マグニチュード6.9の[[大地震>地震]]が発生した。~
 その地震による死者7000人余、倒壊家屋14000戸とも言われている。その際に、丈夫に作られているハズの[[江戸城]]でも石垣が崩れたり、いくつかの門が倒壊すると言う被害を出している。~
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 -この地震のことは俗に『安政の大地震』と呼ばれているが、この地震で無くなった有名人の中に江戸小石川の水戸藩邸に住んでいた思想家の藤田東湖もいて、壊れた家の下敷きになってい死去している。~
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 -思想家の藤田東湖は熱列は尊王論者で、薩摩藩の[[西郷隆盛]]も心酔して師として仰いでいました。その為に「東湖死す」の知らせを受けた西郷隆盛はそのショックで、数日間も自室にこもって泣き明かしたと言うエピソードが残されている。
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 -[[手塚治虫]]の晩年の傑作「陽だまりの樹」では、藤田東湖が庭先にある江戸幕府と同じくらい古い木を指し「この木は太い幹をしているが、その実、中は[[シロアリ]]に食い尽くされ今にも倒れようとしている」と述べており、これが表題にもなっている「陽だまりの樹」を意味しているわけです。~
 そして、この安政の大地震でその江戸幕府の象徴でもあった大木は崩れ落ちてしまうのです。
 
 *更新履歴 [#s2be190d]
 -1999.00.00
 
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