[[人名ふ]]【ふじやま・たねひろ:藤山種広】
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誕生:不詳~
死去:不詳
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-近代ガラス工芸の指導者・技術者~
佐賀藩のガラス工場に勤めて技術を学び、[[1873(明治6)年>1873年]]に[[ウィーン万国博覧会]]に視察目的で出かけガラス伝習生として[[ウィーン]]に留学生として滞在。~
西洋のガラス工芸技術を習得し、翌1874(明治7)年に帰国。
-[[1877(明治10)年>1877年]]に明治政府が建てた東京・品川工作分局で、[[ガラス]]の製造技師として洋式ガラス技術を指導し、近代ガラスの基礎を日本に広めた。
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-初期の品川工作分局では、赤色ガラスを透明ガラスに被せてカットを施す「切子ガラス(きりこ)」や、赤や青の帯模様を透明ガラスで包んだ「ツイストガラス風装飾」を始め、瓶や食器などを製作している。
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-また、ウィーン留学中に[[鉛筆]]の製法も学んでおり、それを技術者の[[井口直樹]]へ伝え、手細工で製作したのが始まりとされている。
-また、ウィーン留学中に[[鉛筆]]の製法も学んでおり、それを技術者の[[井口直樹]]へ伝え、手細工で製作したのが始まりとされている。(井口直樹は藤山種広と共にウィーンでガラス技術を学んだ留学生としている資料もあり)
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