男はつらいよ の変更点


 [[お]]:男はつらいよ
 [[お]]【男はつらいよ】
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 *男はつらいよの豆知泉 [#ve967667]
 ※1968年10月03日フジテレビで[[渥美清]]主演のテレビシリーズ『男はつらいよ』が放送開始
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 -このTVシリーズの最終回、寅次郎は[[ハブ]]を捕まえて一攫千金をと目論み[[奄美大島]]へ渡る。そこで逆にハブに咬まれて死んでしまい、遺骨が柴又に届けられるという悲しい終わり方だった。
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 -TVの[[視聴率]]はそれほどよく無かったが「あの終わり方はないだろう」という声があった為に、[[映画]]版を作ることとなった。当初、映画は奄美大島で死ぬ前のエピソードとして制作された(途中そんな事忘れられてましたが)
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 -しかし、渥美清が体調を崩し「これが最後になるかも知れない」と監督・[[山田洋次]]に語った事から最終の48作目「寅次郎.紅の花(1995年)」の舞台は寅次郎がTV版で亡くなった奄美大島となった。
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 -[[映画]]の中で寅次郎が着ている格子縞の上着は渥美清が考案した特注品で、上下で30万円(4作目の1970年当時)かなりの高級品
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 -寅次郎の甥っ子の名前は「諏訪満男」だが、[[藤子不二雄]]の「パーマン」に出てくる1号の本名は「諏訪光男」。これはパーマンのほうが先。
 
 
 *知識 [#v5edbfd6]
 -日本映画の黄金期は、森繁久弥の「社長シリーズ」加山雄三の「若大将シリーズ」高倉健の「網走番外地シリーズ」などが作られた50年代から60年代と言われている。~
 -その中でも28年に渡って全48作が作られ続けた[[渥美清]]主演の「男はつらいよ」シリーズは、世界レベルで見ても凄い作品と言われている。~
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 *更新履歴 [#n8c1c8ad]
 -原型は68年10月から半年間フジテレビで放映されていた同名の連続ドラマだった。~
 -このドラマの脚本を担当したのが、後に監督としてコンビを組む山田洋次だった。ドラマは放映と同時に人気を集めていたが、最終回では最初の予定通りに沖縄で主人公の車寅次郎がハブに咬まれて死んだ。その為に局に抗議が殺到したという。~
 その人気の高さから、新たに作られたのが映画「男はつらいよ」だった。~
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 -1969年8月27日:映画『男はつらいよ』第1作目が公開~
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 -16歳で家出をした寅次郎が20年ぶりに故郷の葛飾柴又に戻ってくるところから話が始まる。物語の核はさくらと博の結婚にあるのだが、その中で寅次郎の失敗、旅、マドンナへの恋そして失恋と、後のシリーズの設定が最初から完成されていた。~
 -「男はつらいよ」と言うと盆暮れの年2作と言う印象が強いが、最初の4作までは2、3ヶ月おきに公開されていた。その為、3作目と4作目は山田洋次は監督をしていない。~
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 -お盆と正月の年2回になったのは、第5作目の「男はつらいよ 望郷編」から。~
 そして四半世紀以上に渡り48作を作り続けた国民映画は、それ以外の仕事を切り捨て主役に専念し続けた[[渥美清]]の[[1997年8月4日]]の死により幕を降ろした。~
 
 
 
 
 *更新履歴 [#n89d2552]
 -1999.00.00
 -2006.03.01.知泉
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