壇ノ浦の合戦 の変更点


 [[た]]:壇ノ浦の合戦(だんのうらのかっせん)
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 *八艘飛び [#ace2ed9a]
 -[[1185(文治元)年>1185年]]3月24日>、壇ノ浦では源平合戦のクライマックスを迎えていました。~
 -[[1185(文治元)年>1185年]].[[3月24日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=03/24]]、壇ノ浦では源平合戦のクライマックスを迎えていました。~
 そこで源氏の若き武将・《[[源義経]]:みなもとよしつね》が神業とも思えるほどの身軽さで、敵の刀や弓矢をかいくぐり[[船]]から船へ飛び移って最終的には敵の《[[平教経]]:たいらのりつね》を打ち倒したという伝説の『八艘飛び』が行われました。~
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 -ドラマの悪役の常で、すでに敗北が見えているのに最期の最期まで悪あがきをして義経に斬り掛かり、逆に打ち倒されると言うことで芝居などでもクライマックスになる場面です。~
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 -義経の身の軽さと言うのは、牛若丸時代に[[京都>京都府]]の五条大橋の上で、[[弁慶]]と大立ち回りをした時からの伏線があるので、物語的には「やっぱり義経はカッコいいねぇ」と言うことになるわけです。しかし、これは源平合戦を描いている『平家物語』や『吾妻鏡』の中ではたった1度しか船をジャンプしていないのです。つまり別の船に飛び乗ったぐらいの感じで、ポンポンと飛び移ったと言う感じではないのです。~
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 -そして決定的にこの八艘飛びが脚色された物だというのは、敵将《平教経》は実はこの壇ノ浦の合戦の前年に行われた一ノ谷の合戦で戦死しているのです。~
 つまりこの話は根本から崩れてしまうのです。~
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 -伝説が多い義経の物語は[[鎌倉幕府]]の時代にはおおっぴらに語る事が出来ず、[[室町時代]]にやっと書かれるようになった為、実際とは違って大英雄として描かれる事が多く、だんだんと大げさな話になっていったみたいです。~
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 *更新履歴 [#qdf55df1]
 -1999.06.01.知泉
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