[[お]]【おぐら:小倉】
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*小倉あん [#v76b5ff3]
-[[小豆]]を使った料理にはほとんど「小倉」と言う文字が付けられています。~
これは元々、江戸時代に船橋屋という[[和菓子屋>和菓子]]が作り出した「小倉あん」の[[名前]]が基になっています。~
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-このあんこはそれまでのあんこと違っていて、こしあんの[[中]]に[[蜂蜜]]づけにした[[小豆]]をまぜあわせたもので、たいへん評判になりました。~
-このあんこはそれまでのあんこと違っていて、こしあんの[[中]]に[[蜂蜜>はちみつ]]づけにした[[小豆]]をまぜあわせたもので、たいへん評判になりました。~
この「小倉あん」のネーミングは[[京都>京都府]]にある小倉山が元になっているのですが、別に小倉山が小豆の産地と言うことではありません。~
実は連想ゲームのような語源なのです。~
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-この小倉あんの特徴は、こしあんの中に小豆がそのまま入っている事ですが、それが[[鹿]]の白い斑点に見えるということから~
→「鹿の白い斑点(鹿ノ子模様)に似ている」→「鹿と言えば[[紅葉]]」→「紅葉と言えば京都の小倉山」の連想によって、小豆と言えば小倉と言うことになったのです。~
(文献によっては「鹿が小倉山に住んでいる」とされているものがあります)~
*小倉百人一首 [#n758e6e0]
-百人一首というと一般的には『小倉百人一首』のことを呼びます。~
実際には色々な百人一首が存在しているのですが、この『小倉百人一首』が元祖的な扱いをされています。
ではここで言われている「小倉」とは何のことなのでしょうか?
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-この『小倉百人一首』は[[奈良時代]]から[[鎌倉時代]]までの代表的な歌人100人の和歌を、一首ずつ選んでまとめた物です。~
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-『小倉百人一首』の作者は藤原定家と言われているが、実際には定家が選んだ『百人秀歌』という歌集を、のちの人々が補訂したものというのが正しいようです。~
『小倉百人一首』としての完成は、鎌倉室町時代を過ぎた[[南北朝時代]]になって整えられたものらしいのです。~
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-しかし、当時はまだ『小倉百人一首』と言う名前はつけられておらず『小倉山荘巣色紙和歌』とか『嵯峨山荘色紙和歌』などと呼ばれていたみたいです。~
しかし、この元祖『百人一首』をまねた物が[[室町時代]]ぐらいからどんどん出てきて『新百人一首』とか『女房百人一首』とか『源氏百人一首』など、その亜流百人一首が900種以上になったと言われています。~
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-そこで元祖は他と区別する名前をつける必要が出てきたわけです。~
そこで最初の選者とされる藤原定家の別荘があった小倉山にちなんで『小倉百人一首』と言う名称になったのです。~
*更新履歴 [#a17633f5]
-2000.10.03