十返舎一九 の変更点


 [[人名し]]【じっぺんしゃいっく:十返舎一九】
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 *十返舎一九 [#vc9491ed]
 
 *十返舎一九の豆知泉 [#ke5c91a7]
 -十返舎一九の遺言には、棺に[[花火]]を仕込むよう指示されていたので、その花火は火葬の際に景気良く打ち上げられた。
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 -一九の辞世の歌「この世をば どりゃおいとまに線香の 煙とともに はいさようなら」
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 -十返舎一九というと「東海道中膝栗毛」が有名ですが、彼の書いた[[本]]の中でもっとも売れたのは【諸氏適用 手紙文言】という[[手紙]]の書き方ハウツー本。~
 他にも「餅菓子艮席増補手製集」という、[[餅菓子>餅]]の作り方を記した[[料理本>料理]]も書いている。~
 「東海道中膝栗毛」も続いて「金比羅参詣」「木曾街道」などの旅行本も書いているが、これも[[旅]]のハウツー本という意味合いがある。~
 
 
 *江戸時代の旅行ガイドブック [#z09e8d07]
 -十返舎一九が描いた江戸時代の風物詩がたっぷり織り込まれた珍道中記『東海道中膝栗毛』は、当時の庶民の生き生きとした生活が伝わってくるお話です。~
 この主人公は弥次さん喜多さんという、どこにでもいるような二人組で、江戸を出発して各地で騒動を起こしながらお伊勢参りをすると言うストーリーで、実はこの小説は当時、都見物の旅案内書(つまり旅行ガイド)として多くの人に読まれたものです。~
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 -江戸時代の後期には、町民達の生活も安定をして、そこそこの財力を持つようになりました。~
 そこで流行したのが、諸国見物の旅行で、かなり多くの人々が各地へと出かけるようになりました。と言っても当時はそんなに自由に遊びで旅行に出かけられるワケではなく、表向きは「信仰する寺院を訪れる為」「一家の健康を繁栄を祈る為」と言う名目を作って出かけていったのです。~
 その中で、江戸庶民に一番人気のあった場所は「伊勢」で、近場では「江ノ島」などもありました。~
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 -とりあえず「信仰のためにお参りを」となっていますが、その実態は「グルメ」「ショッピング」そして「温泉地で芸者などと遊ぶこと」と、現在とほとんど変わらないような目的で出かけていました。~
 -そんな流行に目を付けたのが切れ者の十返舎一九で、彼は各地の名産・名物・風俗を巧みに物語の中に織り込み、下世話なことが大好きな主人公達に「ここへいったらコレを経験しなくっちゃ」とばかりに、読者のニーズに応えたような作品に仕上げたのです。
 
 *「江戸時代の歩き方」シリーズ [#z401cb68]
 -物語としても面白く、さらに実際に役に立つ、と言うことから当時としては空前のベストセラーになったわけですが、これに味をしめた十返舎一九は弥次さん喜多さんの二人を主人公に、続編として「金比羅参詣」「木曾街道」「善光寺」「上州・草津温泉道中」「中山道道中」を舞台にした作品を書き続けています。~
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 -しかし、弥次さん喜多さんを全国各地に旅行をさせた十返舎一九ですが、当時の作家は基本的に原稿買い取り制度だった為に、どんなにベストセラーになっても、印税が入ってくるわけでなく(買い取り料金は上がったハズですが)、一生懸命書き続けてもさほど生活が楽にならず、一度も江戸から出ずに延々と旅行記を書き続けたと言われています。~
 -では、どうやって十返舎一九はこの時代に各地の情報を得て小説にしていたのか?と言う疑問が出てきます。~
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 -実は、当時も観光地では大勢のお客に来て貰おうとPR合戦が盛んで、神社は「御師:おんし」という神社の功徳を説いて回るPRマンを派遣していたのです。~
 -その御師たちは、全国を行脚してそれぞれの土地で「我が神社に参拝するとこんなに功徳がある」と説いて回っていたので、当然のことながら観光ガイド的ベストセラーを書き続ける十返舎一九の元にも「今度の作品は我が神社を舞台に書いて貰いたい」と多くの御師が訪れていたのです。~
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 -その御師たちの説明と、さらに御師たちがここに至るまでの道中で起こった事件、聞いてきた事件などを収集して、十返舎一九はこっけいな物語に組み立て直していったのだと言われています。~
 
 *更新履歴 [#lc0247a0]
 -2000.11.22
 
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