[[さ]]【さくらぎちょうじけん:桜木町事件】
*4月24日 桜木町事件 [#z622b03c]
-このとき桜木町駅では架線の部品の交換をしていましたが、工手が誤ってスパナを架線の上に落し、それで架線が切れてしまったのです。~
それですぐに列車を止めればよかったのですが、当時は「列車を止めるのは鉄道員の恥」という風潮があり、一般職員にその判断を要求するのはたいへん難しいことでした。~
-----
-そして13時42分、モハ63系5両編成の下り[[電車]]が架線が切れていることを知らずにホームに入ろうとしたところで切れた架線が1両目のパンタグラフにからまり、それでパンタグラフが電車の屋根に接触しました。~
ふつうならすぐに架線への給電が止まるはずなのですが、その装置が作動せず5分間も給電したままだった。~
しかも、モハ63形電車は戦時中に安価に作るために車体が[[木]]で作られていたため、電車はあっという間に火に包まれまったのです。~
-----
-このとき一番の問題になったのは窓でした。~
現在列車の窓というと上下2段にわかれたものがふつうですが、モハ63形の窓は上中下の3段窓で、中段の窓は固定されていて上下段の窓が動くしくみだったのですが、この上下段の窓の幅は30cmほどしかなく、ここから人が逃げることは不可能でした。~
扉は電動だったので開くことができず、隣の車両への扉も内側に開くタイプだったので、逃げようとする人たちの圧力で開くことができなかった事が被害を大きくしてしまいました。~
-----
-こうして、106人もの犠牲者を出す大惨事となってしまったのです。~
この後国鉄は、すべてのモハ63形車両で不燃化対策を行ないました。~
また、この事故以降3段窓の列車は1両も製造していません。~
-----
-最近では通勤用の電車でも3段窓どころか(特急列車のような)開くことのできない窓のものが増えてきていますが、不燃化対策が徹底していますので、桜木町事件が再び起ったとしても外側の塗装をすこし焦がすくらいで済むと思います。
*更新履歴 [#l0fe3a75]
-1998.00.00