高村光太郎 の変更点


 [[人名た]]【たかむらこうたろう:高村光太郎】
 #counter(today)
 
 *10月5日 レモンの日 [#vd574984]
 -[[1938(昭和13)年>1938年]].[[10月5日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=10/05]]、高村光太郎の妻で作品『智恵子抄』でも有名な智恵子が亡くなりました。~
 智恵子は精神病を病んでいましたが、亡くなる数時間前に[[レモン]]をかじりました。~
 「智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬に傾けた」(智恵子抄『レモン哀歌』より) という日です。~
 
 
 *コカコオラもう一杯 [#n0cac4f0]
 -日本に最初に[[コカコーラ]]が入ってきたのは[[1920(大正9)年>1920年]]の事で、その年の[[9月1日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=09/01]]から共に東京麹町にあった明治屋と満平薬局で発売されたのが、一般へのデビューでした。~
 -しかし、当時の人々には「[[薬]]臭くて飲めたものではない」と悪評ばかりで、ほとんど売れずに終わってしまいました。~
 -当時のコーラ自体が現在のものとは味が違っていたのだとは思いますが、結局日本で受け入れられたのは、[[第二次世界大戦]]の後、[[進駐軍>GHQ]]が飲んでいたコカコーラを新しい物好きな人々が真似して、カッコを付けて飲み始めたのが一般に広まるきっかけになったのです。~
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 -しかし、その日本に初めてコカコーラが入ってくるのより先に、高村光太郎は詩の中にコカコーラを登場させています。~
 [[明治末期>明治時代]]から[[大正初期>大正時代]]にかけて書かれた『狂者の詩』と言う詩篇の中で「コカコオラ」「コカコオラもう一杯」と言う二編の詩があります。~
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 -何故、高村光太郎が日本未上陸のコカコーラを詩に書いたのかと言うと、実は[[1906(明治39)年>1906年]]に[[ニューヨーク]]へ渡り、その後[[イギリス]]・[[フランス]]パリ・[[イタリア]]などを3年掛けて周遊しているのです。~
 つまり、そのニューヨークに渡った時に、どこかのカフェあたりで、この薬臭いと言われたコカコーラを飲んだのだと推測されるのです。~
 そしてこの二つの詩が日本に於けるもっとも古いコカコーラに関する文献なのです。~
 
 *更新履歴 [#a62ba271]
 -2001.05.14
 
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