金田一京助 の変更点


 [[人名き]]【きんだいち きょうすけ:金田一京助】
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 -東京帝国大学教授。日本学士院会員。国語審議会副会長。盛岡市名誉市民第1号。日本言語学会長。國學院大學名誉教授。文化勲章受章者。~
 墓は東京本郷の喜福寺墓地。法名:寿徳院殿徹言花明大居士~
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 -息子の金田一春彦も国語学者として知られる。~
 
 
 *1882年(明治15年)0歳 [#m99d97c9]
 -5月5日:出身地:[[岩手県]]~
 
 
 *1895年(明治28年)12歳 [#h4353e01]
 -岩手県盛岡尋常中学校に入学~
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 -盛岡中学時代の3つ後輩にその後に歌人となる[[石川啄木]]がいたが、彼を文学の道に走らせたのが金田一京助で、雑誌「明星」を読むように進められた啄木は次第に文学へ心を惹かれていき、その結果学業が疎かになって、中退していくようになってしまう。~
 -啄木が学校を中退した事といい、その後の啄木が文学の道に入ったが認められず厳しい生活を強いられる事になったきっかけがすべてここにあったと言える。~
 
 
 *1900年(明治33年)18歳 [#a1a1bac9]
 -[[東京大学]]に入学した金田一は[[アイヌ語>アイヌ]]に興味を惹かれ研究を始める。~
 
 
 *1906年(明治39年)24歳 [#f30dd146]
 -このころから、たびたび[[北海道]]や樺太まで出向き現地で言語の調査を行い、ワカルパ、金成マツなどの協力を得て、ユーカラやアイヌ語資料の筆録、収集に勤め、研究発展に貢献する。~
 -この時期の執筆にアイヌとの交流を描いた随筆『心の小径』がある。~
 
 
 *1929年(昭和4年) [#u041e926]
 -7月:折口信夫・宇野円空などと共に、民族学会を設立し、雑誌「民族学」を創刊~
 
 
 *1931年(昭和6年) [#gc155cf7]
 -1月15日:『アイヌ叙事詩・ユーカラの研究』発表~
 
 
 *1932年(昭和7年) [#ge2c23c0]
 -前年に発表した『アイヌ叙事詩・ユーカラの研究』により1932年5月10日に学士院恩賜賞を受賞~
 
 
 *1936年(昭和11年) [#b1fecbd2]
 -金田一京助・知里真志保の共著による『アイヌ語法概説』~
 -その他に日本語系統論・音韻論・文法論などにも業績を残した。~
 
 
 *1954年(昭和29年) [#u9960a97]
 -文化勲章受章。~
 有坂秀世・知里真志保などの後進の育成にも勤める~
 
 
 *1971年昭和46年)89歳 [#hfa26713]
 -11月14日:没:享年89歳
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 -1971年11月14日午後8時30分、老衰の為、東京本郷の自宅で肉親・友人・弟子たちに見守れながら、89歳で死去。~
 
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