喫茶店 の変更点


 [[き]]【きっさてん:喫茶店】
 #counter(today)
 
 *喫茶店の豆知泉 [#ve2c14ac]
 -[[名古屋]]の喫茶店で[[コーヒー]]を注文すると、[[ピーナッツ]]や[[クッキー]]などがついてくる。~
 ※このネタは名古屋人には「なんでそれがネタになるの?」と言われる。
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 -昭和初期のカフェーの女給(ウェイトレス)は当時モダンだった洋装を支給されて着ていたが、まだ西洋式の[[下着]]を着ける習慣がなかったため、ある意味『ノーパン喫茶』だった。
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 -[[漫画]]『のらくろ』は二等卒として猛犬連隊に入隊、大尉まで出世し依願免官し大陸で金鉱探し、帰国して旅館の番頭、探偵を経て喫茶店のマスターになった。
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 -70年代初期フォークグループ・ガロが歌った『学生街の喫茶店』のモデルになった店は、お茶の水の『丘』 
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 -[[べートーベン]]と[[シューベルト]]は3年間同じ喫茶店に通い一度も会うことが無かった。
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 -喫茶店を開業するのに最低でも「喫茶店営業許可」が必要。しかし出せる料理はトーストまで。[[サンドイッチ]]を出すためには「飲食店営業許可」が必要。
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 *世界初の喫茶店 [#n89b40ae]
 -世界で一番最初に[[コーヒー]]を飲ませる店ができたのは、[[1554年>1554年]]、シリアのコンスタンチノーブルでの事でした。~
 -世界で一番最初に[[コーヒー]]を飲ませる店ができたのは、[[1554年>1554年]]、トルコのイスタンブール(旧コンスタンチノーブル)で、シリア出身の人によるものでした。~
 ハーキムとジェムという二人が開いたコーヒー店は『文化人の学校』と呼ばれていました。
 
 *日本初の喫茶店オープン [#abc29f82]
 -[[1888(明治21)年>1888年]].[[4月13日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1888/04/13]]、東京の下谷黒門町(現在の台東区上野2丁目)に、日本で一番最初の喫茶店『可否茶館:かひいさかん』が開店しました。~
 経営していたのは鄭水寧と言う中国人で、二階建ての青ペンキで塗られた洋館で、1階は[[ビリヤード]]場で2階が喫茶店になっていました。~
 ▼[[コーヒー]]1杯1銭5厘~
 ▼[[牛乳]]入りコーヒー2銭~
 ▼[[菓子>お菓子]]付きコーヒー3銭~
 と言う値段でしたが、さらに席料が1銭5厘かかりました。~
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 -店内には、[[新聞]]や遊び道具が置かれ、さらに学生向けに[[文房具]]販売も行い、女性用の更衣室までありました。~
 インテリアや調度品なども、丸テーブル・籐製いす・ランプなどサロン風の徹底したこだわりを見せていました。~
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 -当時の物価で、[[そば]]一杯が1銭だったので、かなり高価な贅沢品だったのですが、それ以前にまだ庶民にコーヒーと言う物が浸透していなかった為に、この得体の知れない黒い液体を飲もうと考える人は少なく、二年半ほどで閉店してしまいました。~
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 -[[4月13日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=04/13]]:喫茶店の日~
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 -それから、約20年ほど経った頃、やっと日本でも[[江戸時代]]から続いていた掛け茶屋が、徐々に喫茶店、あるいはカフェへと変化し始めてきました。~
 
 *不二家洋菓子店オープン [#q300c1b0]
 -明治43年、横浜の元町に[[不二家洋菓子店>不二家]]が開店しました。~
 この店の奥には試食室があり、そこで洋菓子・コーヒー・[[紅茶]]などを出したのが、現代的な喫茶店の元祖とされています。~
 
 *カフェ [#kdbc6cdc]
 -明治44年4月、銀座に洋画家・松山省三が仲間と作った『カフェ・プランタン』がオープンしました。~
 店の看板は、黒地に金の文字で『Cafe-Prantemps』と書かれていた為に、一般の人には近寄りがたい場所だったようです。~
 この店は芸術家達の社交場のような意味合いがあり、常連客として[[志賀直哉]]・[[谷崎潤一郎]]・[[永井荷風]]などという[[大正時代]]を代表する文化人が集っていました。~
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 -その後、銀座七丁目に庶民レベルで入れる『カフェ・パウリスタ』と言う店がオープンしました。|
 ここのブラジルコーヒーは1杯5銭で「悪魔の如く黒く、地獄の如く熱く、恋の如く甘い」と宣伝されていました。~
 この店では、[[カレー]]や[[ハンバーグ]]などの洋食も食べることが出来て、気軽に入れるムードがあり大評判になり、名古屋・大阪・神戸にも支店が出来ました。~
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 -さらに、銀座店には5銭で[[クラシック音楽]]を聞くことが出来るジュークボックスが設置されており、当時は個人で蓄音機などを持てなかったために学生たちがコーヒー1杯で何時間もねばっていたそうです。~
 つまり、昭和期にブームになった名曲喫茶の元祖になったのです。~
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 -『カフェ・パウリスタ』と同じ銀座にあり対抗していた『カフェ・ライオン』と言う店も繁盛していたのですが、こちらの店は圧倒的に男性客が多かったと言います。~
 と言うのも、実は美人の女給さん(ウェートレス)が沢山いるので有名だったのです。~
 今で言う「メイド喫茶」の元祖ということでしょうか。
 
 *更新履歴 [#za4e0cf9]
 -2000.00.00
 -2006.02.27:知泉
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 -2009.07.03:NAO4
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