[[え]]【えんどうしゅうさく:遠藤周作 】
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*遠藤周作 [#ed0cad61]
-1923年03月27日・東京に生まれる。~
少年期にカトリックの洗礼を受ける。その為に、後の小説の主題としてキリスト教の可能性を説いたものが多くある。
-1949年・慶應義塾大学を卒業後、フランス・リヨン大学へ留学~
慶應大学に在学中から『三田文学』へ『カトリック作家の問題』 (49) を発表していたが、フランスでカトリック文学を多く読み学んだ。~
-帰国後、服部達、村松剛らとメタフィジック批評を提唱した。この当時は、評論などを中心にしていたが、後に小説も書くようになる。初の小説は『アデンまで』
-1955年・小説『白い人』(55)で芥川賞を受賞。~
同時期の新人作家「吉行淳之介」「安岡章太郎」と共に《第三の新人》と呼ばれた。~
その後『黄色い人』 (55) 『青い小さな葡萄 』 (56) などのカトリック教の教えを中心に、神の観念,罪の意識、人種問題を扱った作品を発表する。~
-『海と毒薬』 (57) では第2次世界大戦中の生体解剖事件を、『沈黙』 (66) ではキリシタン宣教師の殉教と棄教の分裂を探り、日本におけるキリスト教の可能性や、近代日本の遭遇した「東と西」の問題を主題とする独自な作風を示した。~
-またイエスの独創的な解釈を示した『死海のほとり』 (73) もある。~
-さらに歴史小説にも意欲を示し日本の歴史の中におけるキリスト教というテーマを中心に『侍』 (81) 『反逆』 (89) なども書いた。~
-1960年代からは、自らを《狐狸庵/こりあん》と称して、ぐうたらを冠したユーモア小説なども書き人気を博し、さらにCMなどにも積極的に出演して、シリアスな小説と軽快な人物像のバランスを取った。~
-1979年日本芸術院賞受賞。芸術院会員。~
-1995年文化勲章受章。~
-1996年09月29日・肺炎による呼吸困難のため新宿の病院で死去(享年73)~
*更新履歴 [#y1f7ed68]
-1999.00.00