遺跡捏造事件 の変更点


 [[い]]【遺跡捏造事件】
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 *藤村新一氏の奇跡の軌跡 [#nea51555]
 -1972年~
 11月:[[宮城県]]古川市で開催された「宮城の考古展」に深い関心をしめし開催期間の1週間毎日通い、旧石器文化に興味を持ち、アマチュア研究家として発掘を開始する。~
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 -1981年~
 宮城県岩出山町の座散乱木(ざざらぎ)遺跡で、それまでの日本に於ける旧石器時代3万年前を1万年も遡る4万数千年前の地層より63点の石器を発見。~
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 -1983年~
 これまで論争の的だった日本旧石器時代の考証で、81年発見の遺跡によって決着を見たと報告され、これ以降教科書などにもそのことが書かれるようになる。~
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 -1984年~
 宮城県古川市の馬場壇A遺跡で、前回よりもっと古い、なんと約17万年前の石器を発見。~
 それまでささやかれていた「前期旧石器時代」の存在を決定的にした。 ~
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 -1992年~
 これまでの民間の考古学研究者に贈られる「相沢忠洋賞」の第1回の受賞者となる。~
 多くの人から《ゴッドハンド:神の手》と呼ばれ「彼が来ると砂ぼこりが舞い、石器が顔を出す」「ほかの人が掘っても見つからないのに彼だけが石器を出す」と言われていたが、一部の研究者から石器の時代認定に疑問視する声も出ていた。 ~
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 -発起人のひとりとなってNPO(非営利組織)「東北旧石器文化研究所」を設立。~
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 -宮城県築館町の標高約90メートルの丘陵地に位置で13万年以上昔の前期旧石器時代・上高森遺跡を発見。~
 ※東北旧石器文化研究所の鎌田俊昭理事長と藤村新一副理事長~
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 -1993年~
 東北旧石器文化研究所と東北福祉大考古学研究会が協力し発掘調査を開始。~
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 -1994年~
 13万年前どころか、約40万年前の地層からへら形石器などが出土。~
 1995年までの調査で、さらに50万年前の地層から、へら形石器、クリーバー(握斧)や、石器を規則的に並べた埋納遺構が発掘された。~
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 -1995年~
 [[岩手県]]岩泉町・瓢箪穴での調査発掘で前期旧石器時代の「[[シカ>鹿]]の焼けた[[歯]]」「斜軸尖頭器」などを発掘。日本最古の洞穴遺跡と発表。~
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 -1997年~
 [[山形県]]尾花沢市の袖原3遺跡で発掘した石器と、約30キロも離れた宮城県色麻町の中島山遺跡で発掘された石器の断面がピタリと一致し、この二つは同じ石から作られたと言う「奇跡」がニュースになった。~
 共に発見者は藤村新一氏。~
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 -1998年~
 上高森遺跡で、さらに60万年前の地層から石器が発見され、国内最古記録を更新。~
 同年発行された高校の教科書にもさっそくこのことが記載される。~
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 -それまで[[北海道]]では中期旧石器時代の遺跡は出ていなかったが、北海道新十津川町の総進不動坂(そうしんふどうざか)遺跡で藤村氏が石器4点を発見。~
 その後、東北旧石器文化研究所と札幌国際大学・東北福祉大学の合同調査班による大々的な調査が開始され2000年に、前期旧石器時代の石器29点が発掘される。~
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 -1998年
 7月3日〜6日:北海道新十津川町の総進不動坂でにより、北海道において初めて中期旧石器時代の遺跡が確認。
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 -1999年~
 上高森遺跡で、約70万年前の地層からも石器が1点発見され注目を浴びていた。~
 ※この調査で日本人の祖先の足跡を70万年前まで探し出せた、画期的な遺跡と世界的なニュースになる。~
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 -岩手県岩泉町・瓢箪穴での第5次調査で、最奥部付近の10万年前の地層から石器11点とクマなどの骨を発掘し「食料の残りと道具が共伴した国内最古の事例」と発表。 ~
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 -それまで計器メーカーの会社員と兼業だったが、退職しプロとなる。~
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 -2000年~
 2月、埼玉県秩父市の小鹿坂(おがさか)遺跡で柱穴の跡を発見。~
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 -6月23〜24日:北海道清水町下美曼西で約50万年前の石器13点を発見。~
 北京原人が発掘された場所がそれまでアジア最北だたが、それを上回る北で発掘された原人遺跡と騒がれる。~
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 -8月28日〜9月7日まで北海道新十津川町の総進不動坂(そうしんふどうざか)遺跡を東北福祉大、札幌国際大の合同調査団と共に調査開始。~
 そこで、前期旧石器時代の石器29点を発掘。~
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 -[[10月22日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=10/22]]:宮城県築館町の上高森遺跡に早朝(午前6時18分)現れた藤村氏が掘り返した穴に持参した石器を埋めるシーンを毎日新聞社のカメラマンがビデオに収めた。~
 以前より怪しいとの声が挙がっていたので、毎日新聞が秘密裏に遺跡に泊まり込みをしていた。~
 その現場では、少なくとも6カ所で同様の作業を行った後、立ち去り、午前9時に他のメンバーと共に再び現場にやって来た。~
 撮影されていたのを知らない藤村氏は当日、何喰わぬ顔で発掘。~
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 -10月27日:調査団は「約60万年前の原人の建物遺構とされる柱穴跡などの他、石器を規則的に並べた「埋納遺構」6カ所、同遺構以外で70万年以前を含む31点を発掘した」と発表。~
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 -11月04日:仙台市内で毎日新聞の取材に応じた。最初は普通のインタビューだと思ったらしいが、その捏造をしているビデオを見せられ、あっさりと「石器を埋めていた」と認めた。~
 今回の上高森遺跡で発掘された物のほとんどが埋めた物だと自供し、さらに同年北海道新十津川町の総進不動坂(そうしんふどうざか)遺跡で発掘した前期旧石器時代の石器29点はすべて自分の捏造だと認めた。~
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 -藤村新一:[[1950年5月4日>http://tisen.jp/hbd/edit/query.php?KeyEdit=True&KeyDate=1950/05/04]]、[[宮城県]]加美郡中新田町生まれ。仙台育英高卒。~
 -藤村新一:[[1950年5月4日>http://tisen.jp/hbd/query.php?=True&KeyDate=1950/05/04]]、[[宮城県]]加美郡中新田町生まれ。仙台育英高卒。~
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 -この取材をしたのは毎日新聞北海道支社報道部長「真田和義([[1951.4.20>http://tisen.jp/hbd/edit/query.php?Key=True&KeyDate=1951/04/20]]〜)」で、翌年『2001年度新聞協会賞』を受賞している。
 -この取材をしたのは毎日新聞北海道支社報道部長「真田和義([[1951.4.20>http://tisen.jp/hbd/query.php?=True&KeyDate=1951/04/20]]〜)」で、翌年『2001年度新聞協会賞』を受賞している。
 
 *更新履歴 [#a5b07e81]
 -2002.00.00
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