伊藤野枝 の変更点


 [[人名い]]【いとうのえ:伊藤野枝】
 #counter(today)
 -[[甘粕事件]]:あまかすじけん
 -[[大杉栄]]:おおすぎさかえ~
 -[[伊藤野枝]]:いとうのえ~
 -[[神近市子]]:かみちかいちこ~
 -[[辻潤]]:つじじゅん~
 
 
 *伊藤野枝 [#ve6e0092]
 -[[1895(明治28)年>1895年]].[[01月21日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=01/21]]・[[福岡県]]糸島郡今宿(現在の福島市)に生まれる~
 周船寺高等小学校を卒業後、地元の郵便局に勤務。~
 [[1909(明治42)年>1909年]]12月・上京し上野高女4年に編入。~
 そこで講師をしていた《[[辻潤]]:つじじゅん》と知り合う。~
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 -[[1912(大正1)年>1912年]]・卒業し帰郷しそこで[[結婚]]をするが、家政制度に反発し出奔し、東京に戻る。~
 そこで辻と同居し、その後結婚をする。この時に色々もめた結果、辻は上野高女を退職することになる。~
 その後長男まこと誕生(辻まことは後に画家になる)~
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 -[[1913(大正2)年>1913年]]・[[平塚らいてう]]主宰の青鞜社に入り、雑誌『青鞜:せいとう』に参加。~
 [[1915(大正4)年>1915年]]・編集を担当するようになり、創作や評論も手がけるようになる。女性蔑視の批判にも堪え、権威主義の否定や女性の自立を訴えた。~
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 -[[1916(大正5)年>1916年]]・雑誌『青鞜』廃刊。~
 この頃、社会主義者の[[大杉栄]]と知り合い、辻潤を捨て大杉と同居するようになる。しかし、大杉は「多角関係」と称して妻・保子がおり、それと同時に新聞記者・[[神近市子]]ともつき合っていた。
 その結果、大杉は別の恋愛のもつれから神近市子に刺される《日陰茶屋事件》に巻き込まれる。~
 以後、野枝は大杉と行動・思想を共にするようになり、大杉の『文明批評』『労働運動』などの刊行にも協力した。~
 [[1923(大正12)年>1923年]].[[9月16日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=09/16]]、大杉栄と共に殺害される。~
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