[[人名ろ]]【ろーとれっく:ロートレック】
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*1864年:0歳 [#s3d094e5]
-11月24日:出身地:南フランス・アルビ~
トゥールズ伯爵直径の子孫。~
フルネームは『アンリ・マリー・レイモンド・ド・トゥールーズ・ロートレック』~
*1878年:14歳 [#rbd1145d]
-転倒して大腿骨を折る。~
*1879年:15歳 [#s71c9cee]
-前年とは反対の方の足も骨折してしまう。両足とも完治できず、下半身に障害が残った。~
*1882年:18歳 [#v8679c79]
-パリに出て「エコーン・デ・ボザール」に入学するが、官学派に抗して「フェルナン・コルモン」のアトリエに入る。~
*1884年:20歳 [#j7e49860]
-モンマルトルに部屋を借り、その周辺を旅行で歩き回る日々が続く。~
スペインでグレコとベラスケスに感銘を受け、[[イギリス]]では[[オスカー・ワイルド]]を訪問している。~
ドガと[[日本]]の浮世絵に影響を受け、油絵で絵を重ねる事より、デッサンを繰り返していたと言う。~
夜は、パリのモンマルトルのキャバレー『ムーラン・ルージュ』に通い詰めて[[酒]]を飲んでいた。~
*1890年:26歳 [#m4833f42]
-この頃、従兄弟のタピー・ド・セレーラン博士が同伴するようになり、華やかな二人として有名になる。~
酒場に通い詰めたのは酒なども理由だが、ロートレックは画材として酒場などに集まる人々に注目をして観察の為でもあった。~
彼は踊り子、曲芸師などを好んで描いた。~
やがて娼婦館やキャバレー、[[サーカス]]などのポスターの仕事が依頼されるようになる。~
彼は多くのプライドの高いだけの絵描きと違って、その世界の人達とも親密にしてその中からにじみ出てくる生活感や悲哀などを描くことを好んだ。~
見たまま、感じたままの姿を、浮世絵やドガで学んだ大胆な構図の取り方で、さらに豊かな色彩を使い描いた。~
1890年代に華開いたポスターとしての芸術性の為、彼は「近代大型ポスターの父」と言われている。~
絵だけでなく、文字とのバランスなどにも後世に影響を与えた。~
*1899年:35歳 [#h8d26f8f]
-本来の放浪癖の末、健康を損ね、母親の手でヌイイーの病院に入る。~
*1901年:36歳 [#a80ff00e]
-9月9日:死去:享年36歳~
一時期、体調を取り戻し自宅に帰り、再び創作活動を始めるが、トゥールーズの自宅で息を引き取った。~
*ロートレックのmemo [#f59140b4]
-ロートレックは子供の頃の事故が原因で両足に障害が残り、足だけが成長を止めてしまった。~
その事によるコンプレックスで、酒と女におぼれる日々を過ごす様になったと言われているが、そのベッドテクニックも変態と呼べる物だったと言う。~
しかし、両足の障害と反して、その男性としての一物だけは異常に発達をして、数多くの物を見慣れている売春婦達でさえ驚いたと言う。~
どれくらい凄い物だったかと言うと、売春婦達の間でのロートレックのニックネームは『どびん』と言う物だった。~
*更新履歴 [#u3264328]
-2001.00.00