[[へ]]:ベートーベン
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*ベートーベンの豆知泉 [#v6389ad9]
-ベートーベンは朝晩、必ず[[コーヒー]]を飲むという習慣があったが、その際必ずコーヒーの粒を60粒数える事にしていた。
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-ベートーベンは、友人を手料理でもてなそうとして、危うく食中毒死させようとしたことがある。
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-1823年に描かれたバルトミューラ作の肖像画の中のベートーベンが不機嫌そうなのは、その日家政婦が作った[[料理]]がまずかったから。
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-ベートーベンは音楽教師から「見込みがない」と言われていた。和声の教師をしていた[[ハイドン]]も少年時代の彼を「大したことない」と評した。
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-[[シューベルト]]は憧れのベートーベンに会いに行ったがあがって何も喋れず、ベートーベンも耳が聞こえず、会話も無かった。これが唯一の出会いになった。[2000.2.29]
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-実はベートーベンとシューベルトは3年間同じ[[喫茶店]]に通っていたが、ついに一度も会うことが無かった。
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-ベートーベンは字が汚かった。その為に「エリーゼのために」は本当は「テリーゼ」と書いてあったかもしれない。「テリーゼ」と言う女性の知り合いが存在している。[豆2696]
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-ベートーベンは、部屋が散らかると、そのまま次の部屋へ[[引っ越し]]た。~
「ベートーベンは79回、引っ越しをした」~
-計算すると、年1.4回弱のレートとなる。つまり平均滞在時間は約8カ月半。~
-同じ事を、[[葛飾北斎]]もやっていた。~
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-ベートーベンは引っ越し後、大事な楽譜が大量に紛失していて大騒ぎをした。が、実は引っ越しの手伝いをした家政婦が[[食器]]などを包む梱包材として楽譜を使っていたことが判明。彼女はそんな偉大な作曲家だとは知らなかったし、そんなに大事な物だとは知らなかった。[豆2781]
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-ベートーヴェンの「第9」は当初、『シラーの頌歌「歓喜に寄す」による終結合唱を持つ、大オーケストラ、4声の独唱と4声の合唱のために作曲され、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世陛下に最も深い尊敬の念を持って献呈された交響曲、作品125』という題が付けられていた。
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-ベートーベンの作曲したロンドに、「失われた小銭への怒り」と題される作品がある。
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-ベートーベンの《月光》と言う曲はもともと「幻想曲風ソナタ」と言う曲名だったが、伝記作家が「この曲は[[月光>月]]の中で作られた」と勝手に物語を創作したために、いつの間にか《月光》と言う曲名で定着してしまった。
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*更新履歴 [#ne90633a]
-20000.00.00.知泉
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