プラモデル の変更点


 [[ふ]]【プラモデル】
 #counter(today)
 
 *知識 [#nbc634ec]
 -最近はTVゲームに押され気味ですが、プラモデルはまだまだ少年達に取っては人気の商品です。~
 が、実は「プラモデル」と言う名称は、マルサンと言う玩具メーカーの[[登録商標]]でした。つまりマルサンの販売していた物だけがプラモデルでそれ以外は別の名称でしたが、いつしか「プラモデル」と言う名前が一般化し、マルサンもそれを承諾したと言う形になったのです。
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 -マルサンは、元々ブリキの玩具からスタートした日本の4大おもちゃメーカーの1つでしたが、社長が[[1955(昭和30)年>1955年]]にアメリカに視察に行った時に目にしたプラスティック製の模型を元に試行錯誤して、[[1958(昭和33)年>1958年]]に日本産のプラスティックのおもちゃを誕生させました。~
 -しかし当時の日本では技術的な事もありプラスティックの評価はかなり低く、おもちゃ問屋を回っても関心はほとんどありませんでした。~
 -そこで社長は一気に巻き返しを図ろうと、いきなりテレビでプラモデルの特集をする特別番組を企画したのです。つまり30分間まるまるCMと言うワケです。~
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 -1959年6月、日曜朝10時からの30分間、当時人気だった落語家の三遊亭小金馬(現在三遊亭金馬)を司会にし、国産機YS11を開発した木村秀政を解説役にし、延々とプラモデルの魅力を語る番組を放映したのです。~
 -この番組の提供代、制作費には現在の金額にして2億円ほどかかったと言われていますが、これをキッカケにプラモデルは子供達の間で人気になり、全国の問屋から引き合いが殺到して、先行投資だった2億円はあっと言う間に回収できたと言います。~
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 -ここから、世界に誇るほど精巧な日本のプラモデルの歴史は始まりました。~
 
 *更新履歴 [#a7927073]
 -2000.00.00
 
 
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