[[ひ]]:ヒロポン
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『知泉的:語源&由来辞典』↓[[こちらで構築中>http://tisen.jp/gogen/]]。~
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*ヒロポンの豆知泉 [#ld6a35b0]
-覚醒剤のヒロポンの語源は[[ギリシャ語]]で《仕事好き》と言う意味「philopons」だが、実は日本語で《疲労をポンと取るから》と言うものもある。
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-戦後しばらくは合法だったので、作家などが気分を高揚させる為に飲んでいた。
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-[[サザエさん]]のお隣に住んでいる作家のイササカ先生も愛用者と言う設定。その[[漫画]]の中で子供達が間違って飲んでしまい、ラリラリになる危ない話がある。
-[[サザエさん]]のお隣に住んでいる作家のイササカ先生も愛用者と言う設定。その[[漫画]]の中で子供達が間違って飲んでしまい、ラリラリになる危ない話がある。ただしイササカ先生の隣に住んでいるのはサザエさんとソックリな別家族トンダ家。『似たもの一家』という作品の中、ワカメちゃんソックリなミヤコちゃんと、タラちゃんソックリなカンイチ君がイササカ先生の持っていたヒロポンを飲んで大はしゃぎという作品。
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*政府支給麻薬 [#v21739dd]
-[[第二次世界大戦]]末期の特攻隊員用に配給された精神を高揚させるための[[覚醒剤]]の一種。
正しくは塩酸メタンフェタミンという[[薬]]で、ヒロポンは商品名。
-この薬は覚醒剤という意識ではなく「元気を出すための興奮剤」と認識され、終戦後は比較的簡単に手に入ることからハードワークを続ける作家や芸能人に愛用者が多く、さらに青少年にもその愛用者が広がった。
-その中毒性から「亡国への魔手」と称されるようになったヒロポンは、若者達の心身をむしばみ、精神障害や凶悪犯罪を引き起こしすようになった。
ヒロポン中毒のことは「ポン中」とよんだ。
-そんな状態で戦後4年経った[[1949(昭和24)年03月28日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1949%2F03%2F28]]、やっと厚生省がヒロポンなど覚醒剤6種を劇薬に指定し、ヒロポン狩りが始まったのです。
-[[1949(昭和24)年10月18日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1949%2F10%2F18]]、警視庁は青少年のポン中取締をはじめた。
その後、取締りの強化、そして戦後経済の復興により徐々に下火となりました。
-もっとも覚醒剤として表面化せず、暴力団などの資金源として地下に潜るようになった。
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*その後のヒロポン [#n12b38ac]
-[[1953年01月20日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1953%2F01%2F20]] 警視庁、御徒町のマーケットを捜索し36人検挙・ヒロポンなどトラック13台分押収
-[[1954年07月15日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1954%2F07%2F15]] 大阪市警察本部/前夜からの大掛かりな捜索でヒロポン密造者など301人を検挙
-[[1954年11月09日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1954%2F11%2F09]] 警視庁がヒロポン密造で御徒町マーケット急襲
-[[1955年01月10日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1955%2F01%2F10]] 1954年のヒロポンでの検挙者55664人(警視庁発表)
-[[1955年04月29日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1955%2F04%2F29]] 45億円を稼いだヒロポン密造の主犯を逮捕(小田原署)
-[[1955年05月22日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=1955%2F05%2F22]] ヒロポン密売の総元締めを逮捕、約45億の金を動かしていた(小田原署)
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*更新履歴 [#a1c1f6a0]
-2006.03.01.知泉
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