トマト の変更点


 [[と]]【トマト】
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 *分類 [#q18ec965]
 -学 名:LYCOPERSICON ESCULENTUM MILL.~
 分 類:ナス科トマト属~
 別 名:~
 外国名:英語:TOMATO~
     仏語:TOMATE~
     独語:TOMATE~
 
 *トマトの豆知泉 [#ke06d7dc]
 -トマトは昼夜の気温差が大きいほど甘くなる。
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 -甘いトマトほど糖度が高いので[[水]]によく沈む。
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 -トマトは水分の少ない極限の状態で栽培すると甘味が増すらしい。トマトの原産地の[[アンデス]]が水の少ない気候と言うのも関係していると言われている。
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 -トマトは[[フランス]]では「愛のリンゴ」、[[イタリア]]では「黄金のリンゴ」とも呼ばれている。
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 -20年ほど前騒がれた「茎にはトマト、地にはポテト」と言う改良品種ポマト。実はなんと現在もまだ研究中。
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 -トマト[[料理]]ではトマトに[[汗]]をかかせることが重要。料理する前に余分な水分を出してやることでトマトは本来の味を発揮できる。
 
 *トマトの原産地 [#z9ff4871]
 -トマトの最も原種とされる物は南アメリカのアンデス山脈に近い[[ペルー]]・[[エクアドル]]・[[ボリビア]]地方にあるものとされている。~
 その原種はすでに紀元前頃から大陸に住んでいたインディオに栽培されて食用とされていたのですが(つまり[[1492年>1492年]]に[[コロンブス]]がアメリカ大陸発見なんて事になっているけれど、もともとインディオ達は紀元前から住んでいた)そのインディオ達の生活範囲が中央[[アメリカ]]・[[メキシコ]]などに移住すると共に広がっていったとされている。~
 そしてメキシコに渡ったトマトが、チェリートマト・ペアトマト、そして現在多く食べられている普通のトマトへと分化した。~
 日本ではトマトは一年草と分類されているが、中央アメリカなどの熱帯地方の原種は多年草です。~
 
 *トマト、海を渡る [#z28ab846]
 -そして15世紀末にコロンブスによってアメリカ大陸が発見(とされているが、コロンブスは死ぬまでその大陸が[[インド]]だと思っていた)され、その大陸で発見したトマトと言う植物を[[ヨーロッパ]]へ持ち帰ったのですが、当初は食用ではなく観賞用植物とされていました。~
 ヨーロッパでの食用としては最も[[イタリア]]が積極的で、持ち帰られてから約50年後に記録されたレシピ集の中にトマトを使用した料理が残されています。これが、後の[[スパゲティ]]や[[ピザ]]などに繋がっていく物だと思われます。~
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 -しかし、一般的にトマトと言う植物は非常に青臭くクセのある物だった為に(30年程前のトマトをご存じの方はお分かりだと思いますが)多くの人に敬遠され、一部の人にはその赤い色から[[悪魔]]の食べ物などと言われて毛嫌いされていました。~
 その後、300年後の19世紀に、やっとイタリアを中心に品種改良が進み、味も弱冠マイルドになり、さらにもともと熱帯地方の[[植物]]だったトマトが低温で日照時間の短い地方で栽培できる早生品種として生まれ変わったのです。~
 
 *トマト、里帰りをする [#lfbeedce]
 -さらにトマトが飛躍するキッカケになったのは、元々アメリカ生まれだったトマトが300年の時間を経て、再びアメリカに里帰りをして(この時期アメリカではまだ原種トマトしかなく、[[ヨーロッパ]]よりの[[移民]]には食されていなかった)そこで、さらに交配を重ね多様な品種が育成され、病害虫に抵抗性のある品種が開発されたのです。~
 そして、[[ケチャップ]]などに使用されるようになり市民権を得るようになるのです。~
 
 *トマト、日本へ渡る [#s7668221]
 -欧州では19世紀に市民権を得たトマトですが、日本へやって来たのは比較的古い時代で[[中国]]を経由で17世紀に持ち込まれています。つまりまだヨーロッパでも原種に近い青臭い物だった時代の話。~
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 -日本で一番古いトマトの記録は、[[貝原益軒]]が[[1708年>1708年]]に書いた『大和本草』です。この1708年は[[江戸時代初期]]で将軍[[徳川綱吉]]の時代です。~
 しかし、この時点ではまだ珍品の域を出ず、ヨーロッパと同じように観賞用植物とされ一般的に広まる事はなかった。~
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 -トマトはこの時代は《蕃茄》と書かれ、唐(中国)経由で渡って来たので《唐がき》あるいは《赤なす》さらに現在では放送禁止の《きちがいなすび》などと呼ばれていました。~
 
 *トマト、福沢諭吉にも面倒を見られる [#jdf2b978]
 -一般的にトマトが広まったのは、[[明治時代]]末期から[[大正時代]]にかけての頃。品種改良されたトマトが輸入されてきてからです。~
 が、すぐには定着はしませんでした。~
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 -と言うのも、その時代のトマトは品種改良されたと言っても、まだ青臭さがキツク、淡泊な味を好んでいた日本人には好まれなかったのです。~
 さらにトマトをはじめとして、多くの西洋野菜が明治初期に食されなかった事の第一原因に『日本人は[[野菜]]を生で食べる風習が無かった』と言うことがあげられます。~
 少しは食べることもありましたが、生野菜と言うのは一般的ではなかったのです。~
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 -そこで、日本人はトマトと言う西洋の野菜を食べる工夫をしたのです。その中心になった人物とは、かの[[福沢諭吉]]で、彼は自分が発行している『時事新報』と言う雑誌に[[1893(明治26)年>1893年]].[[9月24日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=09/24]]から日本で初めての料理レシピ集の連載を開始したのです。そのタイトルも当時としては実に柔らかく『何にしようね』と言う物だったのです。~
 これは、当時女性達も教養を高め[[新聞]]を読んで欲しいと言う願いと、西洋料理を一般家庭に根付かせようと言う福沢諭吉の思いが結実した物でした。~
 
 *トマト、大いに嫌われる [#pae764fd]
 -しかし、その中でもトマトと言うものは曲者で、やはり人々の嗜好に合う物では無かったのか、それから16年も経った[[1909(明治42)年>1909年]]に出版された『西洋野菜の作り方と食べ方』と言う本ではこのようにトマトを紹介しています。
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 -近頃東京では大分トマトを用いる人が増えまして、何処の水菓子屋でも必ず之を店頭に飾るようになりました、然し今の処ではまだ到底一般の嗜好に向きませんので、時にはトマトというものは庭の眺めに添えるものだ位にしか思わん方もある位でありますが(後略)~
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 -このあと、トマトの薬効などを説明して、さらに「[[ホオズキ>ほおずき]]の様な[[味]]がして直ぐ吐き出してしまいますが、食べ慣れますと到底忘れる事の出来ない味となります」などと書かれ、その程度の一般浸透度だったようです。~
 
 *明治時代のトマト調理レシピ集 [#xc55cc36]
 とりあえず、[[オリーブ]]オイルなどを混ぜて[[サラダ]]として食べると言う方法も当時紹介されていますが、それ以外にも日本人が苦心してこの難物を食べようとした苦労のレシピが残されています。~
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 -皮を剥いて輪切りにする。[[酢]]、三杯酢、あるいは[[イチゴ>いちご]]の[[ジャム]]などをかけて食べますと、[[夏]]の食べ物として至極結構な物になります。~
 然し初心者には皮を剥いたあと、種と汁を取り出して、[[砂糖]]をつけて食べるのがよいでしょう。~
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 -皮を剥いて輪切りにする。[[バター]]で充分炒めて柔らかくなったら、[[塩]]と砂糖で味付けをする。さらに[[卵]]を上に乗せて、卵が半熟になった時に[[皿]]に移し食す。~
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 -トマトを押しつぶし、その汁に[[水]]を加え、さらに[[寒天]]を混ぜ煮込む。~
 寒天が完全に溶けた頃合いを見計らい、[[アンコ>あんこ]]を練り混ぜて冷やすとトマトの[[ヨウカン>ようかん]]が完成します。~
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 -トマトが熟す前に収穫し、その青いトマトを塩漬け・粕漬け・[[味噌]]漬けにして食します。さらに一晩ほど塩漬けしたトマトを、酢と砂糖で煮込み、[[コショウ]]などを振りかけて食します。
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 -それ以外にも『フライド・トマト』『トマトの甘露煮』『トマト・ライス』『トマトの[[天ぷら]]』『トマトの[[みそ汁]]』『トマトの[[茶碗蒸し]]』と言う、想像するだけで恐ろしくなってしまう料理が沢山紹介されています。~
 -それは「生野菜を食べる」と言う食生活が無かったための苦心なのですが、さらに頭をひねって生野菜・トマトを食べさせる手段として考え出されたメニュー『トマトの[[刺身]]』と言うものまであったりします。~
 
 *トマトの定着 [#lee5ba31]
 -そのトマトが普通に食べられるようになるのは、[[第二次世界大戦]]での敗戦を待たなくてはいけませんでした。~
 戦後日本にやってきた進駐軍・[[GHQ]]が持ち込んだアメリカ式食文化に貧しかった日本人達は大いに飛びつき、その中でアメリカの象徴として[[サラダ]]と言うものも大いに活躍をすることになったのです。~
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 -それと同時に、トマトを原料とした[[ケチャップ]]が「ナポリタン・[[スパゲティ]]」と言う(実際にはイタリア料理にはナポリタンと言う形式は無いのですが)形で浸透したのです。~
 そして、この時代サラダを食べる事になるきっかけとして、アメリカ人達が野菜の栽培方法についてレクチャーしたことが大きな転機になったのです。~
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 -実は日本では野菜を生で食べる習慣が無かったのか?と言う答の一つに「日本では作物は糞尿で育てる」と言うものがあったのです。~
 その為に汚いと言うこと以外に、糞尿についた寄生虫などを防止する為に熱を通すと言うことが[[当たり前]]になっていたのです。~
 -そこでGHQは農業に対する衛生基準をきびしくし、化学肥料を使用することを徹底させて(もちろん日本にいる自分たちが生野菜を食べたいと言うのが最大の理由)野菜を生で食べることを推進したのです。~
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 -その後、アメリカ産ポンデローザ(桃色・大果)などの甘味に富み、トマト臭が少ない品種も導入されたのをきっかけにトマトが一般的になりさらに日本人好みのトマトが改良・育成されたことにより現在のように普及したのです。~
 
 *ケチャップってどういう意味? [#b93c40c6]
 -[[ケチャップ]]と言うと普通「トマトケチャップ」の事を指しますが、元々別の意味がありました。~
  実はこのケチャップという言葉は英語でも[[フランス語]]でも[[ドイツ]]語でもなく、なんと[[中国]]語(あるいは東南アジア系語)で、しかも「塩蔵魚の汁」を意味する「茄醤/コエチアップ」と言う言葉だったのです。~
  いわゆる魚を使って作った醤油「ニョクマム」などの様なソースの事を言ったのです。~
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 -この「茄醤」が、[[ヨーロッパ]]に運び込まれ大変な評判を呼びました。そして次第に「ケチャップ」と言う言葉は「何か風味を持ったソース」と言う意味になったのです。~
  木の実を使った「クルミケチャップ」など色々なバリエーションが生まれました。~
  そしてこのケチャップが[[アメリカ]]に伝えられ、そこでトマトを使ったケチャップが誕生して大評判になったのです。~
  そのうち、ケチャップはトマト味の物だけが残り、ケチャップと言えば「トマトケチャップ」の事を指すようになったのです。~
 
 *トマト祭り [#fd97f012]
 -[[スペイン]]・ブニョルという町では8月の最後の週の水曜日に行われる祭りではトマトを街中の人が投げ合う。~
  この模様は昔、よく「なるほどザ・ワールド」などで紹介されたので知っている人も多いと思う。~
 
 *トマトの成分 [#n4c28ab5]
 -トマトは[[ビタミンA]]・[[ビタミンC]]を比較的多く含んでいる。~
  酸味の主成分は[[クエン酸]]で、[[ミネラル]]分も多い。~
  果実の橙黄色は[[カロチン]]、赤色は[[リコピン]]と言う色素による。~
  アルカリ食品としての意義も大きく、生食・煮食のほかに、[[ジュース]]・ピューレ・ケチャップなどに利用される。~
 
 *更新履歴 [#t45c5095]
 -1998.00.00
 -2000.07.31.知泉No.221
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