サド の変更点


 [[さ]]:サド:さど
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 *サドはマゾ [#v3f54ae0]
 -相手をムチなどで痛めつけて、苦しむ様子を見て興奮すると言う性癖のことを《サディズム:サド》と言いますが、このサディズムと言うのは「サド侯爵のような性癖」と言うことから命名されています。~
 この18世紀に実在したサド侯爵は作家として有名で、彼が書いた『悪徳の栄え』『ソドムの百二十日』などを読むと、強姦・拷問にはじまり、手首切断・殺人などが山盛りになっていて、納得せざるを得なかったりします。~
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 -そのサド侯爵の晩年は、25年の長きに渡る投獄生活、そして精神病院に入れられそこで死んだと言う悲惨なものでした。~
 その作品から人物を想像すると、そうなってもおかしくないような酷いことをした報いなんだろうなと思いがちですが、その後の研究でその投獄と言うのはまったくの無罪で不当な物だった事が判明したのです。~
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 -それどころか、彼は誰にも礼儀正しく、周囲の人間に愛され、彼を逮捕した警察官にもちゃんと敬意を表したと言います。~
 -それどころか、彼は誰にも礼儀正しく、周囲の人間に愛され、彼を逮捕した[[警察官>警察]]にもちゃんと敬意を表したと言います。~
 当然、後に言われたように相手を痛めつけて興奮するサディズムな性癖はまったくなかったのですが、彼にはちょっと変わった性癖があった事は事実なのです。~
 それは、[[ベッド]]をともにした女性に「このムチで思いっきり私の尻を叩いてくれ」と頼み込んだり、従者の一人を愛人にしてその相手に向かい「ご主人様」と呼んだりしていたというのです。~
 つまり、このサド侯爵というのはマゾ(虐められて喜ぶ性癖)だったのです。~
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 -結局、彼が書き残した小説というのは、虐める側から書いたものではなく、虐められる側から「あぁこんな事をして欲しい」と書いた物だったのですが、彼の死後、そうとは知らない人々から「サディズム」と言う精神医学用語にされてしまったのです。~
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 *サド侯爵の性癖 [#n1f73ba3]
 -サド侯爵は基本的に神経質だったらしく、マクラなどは使い慣れたものでないと眠れなかったらしく、獄中から妻へ手紙を出し、[[マクラ>枕]]・[[下着]]・[[ハンカチ]]などを贈って欲しいと頼んでいた。~
 そんな差し入れを要求する手紙の中に、図面など書類を入れるための筒を頼んでいる手紙も見受けられる。その筒に関しては大きさも[長さ24センチ、周囲が23センチぐらい]と、ちゃんと指定されている。~
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 -実はその筒の使用法は書類入れではなく、自分で肛門に出し入れする大人の[[オモチャ>玩具]]としての物だと言うことが後に判明した。~
 それが解ったのは、その死後に発見された[[日記]]からなのだが、それで何度楽しんだかと言うことが克明に記録されている。それを調べていくと、1778年9月7日の投獄から1780年12月1日までの間に、なんと6536回も楽しんだと記録されている。これは実に1日平均8回と言うとんでもない回数だったりする。~
 -実はその筒の使用法は書類入れではなく、自分で[[肛門]]に出し入れする大人の[[オモチャ>玩具]]としての物だと言うことが後に判明した。~
 それが解ったのは、その死後に発見された[[日記]]からなのだが、それで何度楽しんだかと言うことが克明に記録されている。それを調べていくと、[[1778年]].[[9月7日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=09/07]]の投獄から[[1780年]].[[12月1日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=2/01]]までの間に、なんと6536回も楽しんだと記録されている。これは実に1日平均8回と言うとんでもない回数なのです。~
 サド侯爵はサディズムではなく、自分に刺激を与えてくれる状態が好きだったようなのだ。~
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 *サド侯爵の豆知泉 [#a9d3d7f9]
 -[[フランス]]ではサド公爵の著作は1960年代まで公式に出版禁止とされていた。~
 -[[フランス]]ではサド公爵の著作は[[1960年代]]まで公式に出版禁止とされていた。~
 いまでも出版社によっては出版禁止書物のリストに登録されている。~
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 *更新履歴 [#q03f5eba]
 -2000.00.00.知泉
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