カノッサの屈辱 の変更点


 [[か]]【かのっさのくつじょく:カノッサの屈辱】
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 *1077年1月25日 カノッサの屈辱 [#n1198258]
 -[[1077(承暦元)年>1077年]].[[1月25日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=01/25]]、神聖ローマ皇帝がローマ教皇に「お詫び」をしました。~
 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は[[イタリア]]の支配をめざし、ミラノ大司教などを次々と任命しました。~
 教皇グレゴリウス7世は、これらの教皇を無視した皇帝の行為を激しく非難しました。~
 ハイリンヒは激怒し、直ちに諸侯を集めて教皇の廃位を決定。~
 これに対して教皇も、1076年2月に皇帝の廃位と破門を宣言しました。~
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 -破門の知らせを受けると、諸侯たちは次々とハイリンヒに叛旗をひるがえしました。~
 そこでハイリンヒは、教皇から破門を解いてもらうために、グレゴリウス7世が滞在している北イタリア・カノッサ城を訪れました。~
 しかし、グレゴリウスはなかなか会おうとせず、カノッサ城外で悔恨の心を示すことを要求しました。~
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 -ハイリンヒは1月25日から3日間、[[雪]]の中、はだしに粗末な修道衣だけの姿で城の前に立ちつづけ、1月25日ようやく教皇の赦免を受けることができました。これを「カノッサの屈辱」といいます。~
 しかし、赦免を受けた皇帝は巻き返しをはかり、教皇との対立は再び激化していきました。この争いは以降約半世紀も続きました。~
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 -神聖ローマ皇帝がローマ教皇に頭を下げた1月25日を「お詫びの日」としている団体もあるそうです。~
 
 *更新履歴 [#a22a52f0]
 -2001.00.00
 
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