お好み焼き の変更点


 [[お]]【おこのみやき:お好み焼き】
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 *お好み焼きの誕生 [#vc555c3e]
 -お好み焼きというと、大勢でワイワイ言い合いながら焼いたり、自分の好きな具を入れたり自由な食べ物と言うイメージで、庶民の食べ物です。~
 しかし、このお好み焼きのルーツをたどっていくと、格式を重んじる茶道の祖・[[千利休]]へと行き着くのです。~
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 -もっとも千利休の時代にはお好み焼きではなく、お[[茶]]を飲むときに食したとされる《麩の焼き:ふのやき》と呼ばれるものでした。~
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 -千利休が著した『利休百回記』という、100回分の茶会の詳細を記した物の中に書かれているレシピによると、[[小麦粉]]を[[水]]で練り上げたものに、葛を混ぜ入れ、それを[[鍋]]の上にのせて焼くと言うものだったらしいのです。~
 とりあえず、小麦粉を溶いて焼くというスタイルはお好み焼きと同じですが、その中に入れた具は[[山椒]]・クルミ・ケシなど好みが中心で、それをクレープのように巻き上げて食べるというもので、現在のようなソースが付いていないので、小麦粉と木の実でこんがりと甘い[[香り]]がする、お茶に似合った物だったみたいです。~
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 -この《麩の焼き》は利休のお気に入りだったらしく、他にも色々な茶菓子があったのですが、100回の内70回以上も麩の焼きを出している。~
 -千利休が創り上げた茶道の完成と共に、お茶菓子として麩の焼きも高級和菓子として完成に向かっていき、このまままっとうな[[和菓子]]として歩んでいくかと思った麩の焼きですが、意外な方向に歩み始めることになるのです。~
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 -千利休が活躍した時代、[[豊臣秀吉]]が実権を握って、盛んに[[朝鮮]]に出兵していた為に、朝鮮経由で似たようなスタイルの食べ物が日本に入ってきたのです。~
 それは《ピンデット》という物で、スタイルは麩の焼きに似ているのですが、そこに使用される粉は[[小豆]]で作った粉で、その中に[[豚肉>豚]]などのいかにも大陸!という具を入れて食べる、お菓子と言うより食事のような物だったのです。~
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 -この二つ《麩の焼き》と《ピンデット》が、[[江戸時代]]になった頃混じり合った形になって現在の《お好み焼き》に果てしなく近い物へと変化をしていったのです。~
 意外なことに、お好み焼きという食べ物は日本と朝鮮の文化が融合した国際的な食べ物だったと言うわけです。~
 
 *お好み焼きの進化形:モダン焼き [#n902a203]
 -お好み焼きと言うのは中に色々と食べたい物をお好みで入れて食べるのでその名前が付いたワケですが、そのお好み焼きの中に[[うどん]]や[[焼きそば]]などの麺を加えて焼いたものを《モダン焼き》と呼んだりします。~
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 -やはりこれもお好み焼き・[[たこやき]]などの文化を生んだ関西圏で誕生した食べ方なのですが、そのルーツは諸説あります。~
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 -店によっては「[[広島県]]で生まれたから広島焼きと呼ぶ」などと言い張っている場合もありますが、世間に出てきたのは戦後すぐの頃らしいです。~
 が、この時代は客の要望があれば作ったという形の、常連客用メニュー的な物だったらしいのです。~
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 -現在のように《モダン焼き》という名前でメニューに印刷された物の最古の記録は、意外と新しく、かの[[大阪>大阪府]]お好み焼きチェーン「ぼてぢゅう総本家」が[[1972年>1972年]]に作成したメニューだとされています。~
 -そして「ぼてぢゅう総本家」が全国チェーンになるにしたがって、日本国中に《モダン焼き》という食べ方も広まっていったと言うことなのです。~
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 -お好み焼きの食べ方もそれまではソースを塗るだけだったのに、[[マヨネーズ]]・[[ケチャップ]]・[[マスタード]]を加えたりするのも、実はこの「ぼてぢゅう総本家」が考案したものだったりします。~
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 -作家の嵐山光三郎氏はお好み焼きに掛かっているマヨネーズに感動して『これを考えた人は食の殉教者だ』と述べた。~
 
 *更新履歴 [#ab25ef39]
 -2000.07.26
 
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