うどん の変更点


 [[う]]【うどん:饂飩】
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 *うどんの豆知泉 [#n663510e]
 -日本で最もうどんを食べるのは香川県民。~
 消費金額も日本一なら[[小麦粉]]の消費量(これは[[パン]]も含めてのようです)も日本一、全国平均の約3倍の量を食べている。~
 [[香川県]]内には「うどん巡礼八十八箇所」なるものの案内マップもある。
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 -加ト吉は香川県のメーカーなので、加ト吉製品の讃岐うどんは信頼がおける。~
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 -明治13年12月26日の読売新聞には「鍋焼きうどんが大流行している」との記事が掲載されている。東京には鍋焼きうどんの行商人が863人もいるが、普通の夜鳴きそば屋はたったの11人しかいなかったらしい。
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 -シュレッダーは日本の明光商会の発明。うどんの製麺機からヒントを得た。
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 -うどんすきは元々某メーカーの登録商標だったが、裁判になって普通名詞化したという判決がでた。(1997年最高裁判決) 
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 -昭和初期の大阪で「ハイカラうどん」というと天カスが入ったうどん、同時に「モダンうどん」もあり、それには揚げ小エビ・青豆・刻みネギが乗っている物。
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 -[[巨人軍]]の投手だった堀内恒夫は、他の選手がマネできないような特殊なカーブを投げる事が出来た。実は若い頃に、うどん製造機で右手[[人差し指]]を少し削ぎ落とす事故にあってしまい、[[指]]が少し短くなった為にそのような事になったらしい。
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 -「今、何時だい?」でお馴染みの[[落語]]「時蕎麦」のオリジナルは、関西落語の「時うどん」。
 
 
 *必要ないと思うけど解説 [#v2fcbde7]
 -小麦粉を薄くのばし細長く切った物を茹でた食物。
 
 *語源 [#ne2b128c]
 -ルーツは[[中国]]の「こんとん」と言う[[小麦粉]]でつくった[[お菓子]]。~
 これが[[奈良時代]]に日本に渡ってきた時に、日本人は暖かくして食べる方法を考え出した。~
 そこで名前が「温」と言う意味を含ませた「温飩:うんとん」に変わった。~
 それが[[室町時代]]の終わり頃には、名前を詰めて現在の「うどん」へと変化していった。~
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 -同じように小麦粉をこねて、うどんより細く延ばして感想させた《[[そうめん]]》は、同じ頃に中国から渡来したと言われているが、初期はうどんと同じように煮込んだ状態で食べていたと言うが、次第に冷やして夏の食べ物になっていった。~
 とりあえず現在、京都における《煮うめん》と言う形でオリジナルの食べ方が残されている。~
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 -平たく延ばして作ったうどんの事を《ひもかわ》と呼ぶ。~
 これは平打ちヒモという物に似ているためにこの名前に成ったという説と、[[愛知県]]刈谷市今岡町の名物だった《芋川うどん》に由来しているという説がある。~
 
 
 *うどんの豆知泉 [#af11892c]
 -日本で最もうどんを食べるのは香川県民。~
 消費金額も日本一なら小麦粉の消費量(これはパンも含めてのようです)も日本一、全国平均の約3倍の量を食べている。~
 [[香川県]]内には「うどん巡礼八十八箇所」なるものの案内マップもある。
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 -加ト吉は香川県のメーカーなので、加ト吉製品の讃岐うどんは信頼がおける。~
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 -明治13年12月26日の読売新聞には「鍋焼きうどんが大流行している」との記事が掲載されている。東京には鍋焼きうどんの行商人が863人もいるが、普通の夜鳴きそば屋はたったの11人しかいなかったらしい。
 
 
 *7月2日:うどんの日 [#q85883b6]
 -うどんの本場、香川県生麺事業協同組合が1980(昭和55)年に制定した記念日。~
 元々、香川地方では二毛作で小麦を栽培していたが、毎年7月のこの頃に二毛作目の田植えが終わっていた。~
 -そして労働をねぎらう意味で最初に収穫できた小麦で作ったうどんを食べたと言う風習からこの日に決定された。([[7月2日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=07/02]])
 
 *関連項目 [#k0030989]
 -[[シュレッダー]]
 
 *更新履歴 [#z9b5b802]
 -2000.00.00
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