咸臨丸 のバックアップソース(No.1)

[[か]]【かんりんまる:咸臨丸】
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*2月26日 咸臨丸の日 [#td915482]
-[[1860(万延元)年>1860年]].[[2月26日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=02/26]]、幕府が派遣した使節団が、咸臨丸による37日間の太平洋横断航海を終えて[[サンフランシスコ]]に到着しました。

*咸臨丸の豆知泉 [#sf1a8f22]
-[[ジョン万次郎]]は年老いた母の為に、咸臨丸での訪米の時にミシンを持ち帰った。これが、日本に於けるミシンの伝来1号機。
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-日本人で一番最初にツーショット[[写真]]を撮ったと思われるのは[[福沢諭吉]]。~
渡米した時に他の連中に[[内緒]]で写真館の娘と一緒に写真に収まり、帰りの咸臨丸の中で[[勝海舟]]などに自慢をしたらしい。

*1871年09月23日 咸臨丸の最期 [#r2211ad5]
-咸臨丸というと、かの[[勝海舟]]が船長を務め、[[福沢諭吉]]や通訳として[[ジョン万次郎]]などが乗り込み、初めて[[太平洋]]を渡った日本の船ということで、歴史的にも重要な船として知られています。~
しかし、[[アメリカ]]から帰国したあとの咸臨丸はどうなったかはあまり知られていません。~
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-[[1868(慶応4)年>1868年]]8月、幕府の海軍総裁・[[榎本式揚]]によって蝦夷地([[北海道]])へ向かう途中、嵐に遭遇し漂流し清水港に流れ着いてしまうのです。~
その後、明治時代に入った頃は輸送船として活躍していたのですが、松島湾から小樽へ開拓民を乗せて航行中、[[1871(明治4)年>1871年]].[[9月20日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=09/20]]、函館の西方24キロの泉沢付近で座礁してしまったのです。~
船に乗っていた人たちは近くの漁民に救助されたのですが、咸臨丸はそれから3日後の[[9月23日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=09/23]]、あえなく海へと沈んでいったというわけです。~

*更新履歴 [#s16797c5]
-2000.11.23
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