文化の日 のバックアップ(No.2)
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- 1 (2006-03-01 (水) 00:07:38)
- 2 (2006-04-29 (土) 08:54:40)
ふ【ぶんかのひ:文化の日】
て【てんちょうせつ:天長節】(11月03日→08月31日→04月29日)
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11月3日 文化の日(National Culture Day) †
- 文化の日の11月3日は、戦前「明治節」と言って明治天皇の誕生日を祝った記念日で、戦前は「明治節」と呼ばれていた。
さらに明治時代にはこの日は「天長節」と呼ばれて、天皇の誕生日を祝う日だったのだが、実は明治天皇誕生日は11月3日ではなく、1852(嘉永5)年.7月31日?でした。
- それ以前の天皇の時も天皇の誕生日を祝う「天長節」は存在していたが、明治天皇の代になった時に7月31日の夏の暑い盛りにお祝いするのより秋の涼しい季節にゆっくりと祝おうと言うことになり、何故か11月3日を明治天皇の「天長節」としてお祝いする事になったのだと言う。
「天長節」とはそもそも、その時代の天皇誕生日の事だが、昭和期に入った時(当然この時は昭和天皇の誕生日4月29日が天長節だった)に、偉大なる明治天皇の力を祝おうと言うことになり「明治節」と言う祭日が出来た。
- それが第二次世界大戦が終わったあと1947(昭和22)年のこの日に現在使用されている日本国憲法?が公布されたので「憲法記念日」にしようと言う案が出されました。
しかし廃止したハズの「明治節」を別の名称で祝うと言うのは軍国主義の復活につながるのではないか? と連合国側から反対され、憲法記念日はその新憲法が効力を発揮する施行日の5月3日に制定されました。
- しかし、この意見に反論をした議員もいました。
「アメリカは独立宣言をした日を独立記念日としているではないか」と言い出したのです。その結果、11月3日を「文化の日」と言う名前で、1948年から記念日にする事になったのです。
この時に反論をした議員とは作家としても「路傍の石」などの作品でも有名な山本有三でした。
天長節 †
- 明治天皇の誕生日で、天長節として祝われたのは、1873(明治6)年〜1911(明治44)年の間。
1868(明治元)年〜1872(明治5)年までは9月22日に行なわれていましたが、1873(明治6)年の太陽暦の採用にともない、9月22日を太陽暦に換算した11月3日に変更されました。 - ちなみに大正時代は大正天皇の誕生日8月31日が天長節、1927(昭和2)年から1948(昭和23)年までは昭和天皇の誕生日であった4月29日が天長節でした。(1949(昭和24)年からは「天皇誕生日」と名称変更されました)
明治節 †
- 偉大なる故・明治天皇の誕生日を祝う日で、実施されたのは1927(昭和2)年〜1947(昭和22)年の間。
記載記録 †
- 1998.00.00