肉食 のバックアップ(No.2)


【にくしょく:肉食】

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肉食の豆知泉

  • ステーキと言うのは本来「鹿の肉」を焼いた料理。
    その為にレストランなどで牛肉を焼いたものはわざわざ《ビーフステーキ》と言う。

  • 貝塚などから出土されたモノを調べると、縄文人はシカイノシシなどの肉をよく食べていた。
    その他に、野ウサギタヌキキツネ・アナグマ・カワウソ・テン・ムササビなどを食べたが出土される。

2月9日 肉の日

  • 「に(2)く(9)」の語呂合わせで2月9日に制定。
    この日とは別に、毎月29日も「肉の日」になっています。

食肉禁止

  • 古代の日本は、一般的な民族と同様に動物を捕まえたり飼育して肉を食べていました。その証拠として、縄文時代の遺跡からは大量の動物のが出てきています。
    しかし、奈良時代になり仏教が盛んになってくると、動物を殺して食べると言う行為を罪悪視するようになり、天武天皇、聖武天皇などの時代には殺生を禁じる法令が何度も出されました。
    そして次第に肉を食べると言う事が一般的に行われなくなりました。

  • もっとも、中には隠れて肉を食べる人もいて、特に室町時代?末期から江戸時代にかけては、布教目的で来日した外国人の影響を受けて大っぴらに肉食が行われていたと云われます。
    いわゆるキリシタン大名などは南蛮料理を食べることを奨励していたと云います。

  • この風潮は、その後の江戸時代の鎖国によって途絶えてしまいますが、江戸時代の中期になると肉食をいけない物だとするのは愚かな事だと考える学者が現れ、江戸時代には法令的には禁じられていたのですが、鹿の肉を食べさせる店などが現れてきました。
    これらの店は罰せられる事がなかったのですが、大っぴらに「肉」をメニューにするのは避けられ、その結果「猪肉=ぼたん(山クジラとも云う)」「馬肉=さくら」「鹿肉=紅葉」などと呼んで、看板にもその図柄を書いたと云います。

  • この肉の名称は現在でも残っています。[関連の話題として精進料理
  • 幕末になると、なし崩しに外国の情報が入って来て、肉食が増えていきました。

明治天皇が肉を食べる

  • そして、ついに1872(明治5)年1月24日?は、奈良時代から延々と1200年も続いていた『食肉禁止令』が廃止しようと決定され、明治天皇が宮中で自ら牛肉を食べて国民に示したのです。肉好きに取っては記念すべき日です。

  • 新聞には『我ガ朝ニテハ中古以来、肉食ヲ禁セラレシニ、恐レ多クモ天皇、イワレ無キ儀ニ思シ召シ、自今肉ヲ遊バサルル旨、宮内ニテ御定メコレ有リタリト云。』と書かれていた。
    実は、写真嫌いで、ガス灯や電灯を生涯使用されなかったと言うほど保守的だった明治天皇が、国民の代表として一大決心をして見本となったのです。

  • 明治時代初期は文明開化のシンボルとして、先進的を気取る人々の間で牛なべ屋が大繁盛していました。
    しかし、地方ではなかなか肉を食べる勇気を持てずに、普及しなかったとも云われています。
    この明治天皇の一大決心の洋食宣言にあわせて、当時の右大臣だった岩倉具視は部下の1人に西洋料理専門店を開店させましたのです。

  • この店は当初、宮内庁御用達として運営されていましたが、現在は普通の西洋料理店となったのですが、その店の名前は現在も続いている『精養軒』です。
    その後、牛丼?なども登場し、一般的になっていったのです。

更新履歴

  • 2000.01.24.知泉No.118
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