二宮尊徳 のバックアップ(No.1)
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- 1 (2006-06-01 (木) 06:47:32)
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に【にのみやそんとく:二宮尊徳】人名
に【にのみやきんじろう:二宮金次郎】
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生没 †
- 誕生:1787(天明7)年07月23日・相模国足柄山栢山村
物故:1856(安政3)年10月20日・下野
二宮尊徳 †
- 江戸時代後期の農村復興の指導者・農民思想家。
1787(天明7)年.07月23日・相模国足柄山栢山(かやま)村生まれ。
一般的には《二宮金次郎》として少年時代に苦学をしたとして、薪を背負いながら本を読む姿が小学校校庭などの銅像としておなじみ。
- 14歳のとき父を、16歳のとき母を失い、さらに田畑は酒匂 (さかわ) 川の洪水によって流失して伯父の家に寄食。
薪を背負いながらのエピソードどおりに独学で苦学して一家を再興し、田畑約4町歩をもつ地主となった。 - この体験をもとに天地三才の徳に報いることを説く『報徳思想』を形成。
さらに家・村を復興し興国安民を実現する仕法を体系化した。
- 1818(文政1) 年.旧主小田原藩家老服部家の家政改革を託される。
その手腕を認められて1822(文政5)年、小田原城主大久保忠真から模範篤農家として表彰された。
さらに小田原藩領下野桜町、駿河、相模、伊豆の3国、常陸国真壁、芳賀両郡、幕府の日光神領 90ヵ村などの復興に従事。
- 1842(天保13)年.御普請役格に任じられ幕臣となる。
- 1856(安政3)年.10月20日・日光神領の復旧に参与中、下野国今市の仕法役所で病死。
著作・仕法書類には『二宮尊徳全集』として所収されている。
関連文献には弟子富田高慶述の『報徳記』、弟子福住正兄筆記の『二宮翁夜話』がある。
更新履歴 †
- 1999.00.00