徳川家康 のバックアップソース(No.3)

[[と]]【とくがわいえやす:徳川家康】
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*徳川家康の豆知泉 [#z591038b]
-日本最古の[[エンピツ>鉛筆]]は徳川家康が所蔵しており、現在は[[静岡>静岡県]]東照宮にある。[[スペイン]]の皇帝から贈られた物で、芯は[[メキシコ]]産。[[レントゲン]]で調べた所、二ヶ所芯が折れていた。

*徳川家康の関係者 [#v1674277]
| 名前|誕生日|死去|享|メモ |
|徳川家康|1542/12/26|1616/06/01|75| |
|築山殿|1543/00/00|1579/09/19||家康の正室/関口義広の子・今川義元の姪/長男松平信康の母 |
|お万||||家康の側室/次男結城秀康の母 |
|西郷局||||家康の側室/3男徳川秀忠・4男松平忠吉の母 |
|阿茶局|1554/02/13|1637/01/22|82|家康の側室/6男松平忠輝の母 |
|お梶の方|1578/11/09|||徳川家康の側室 |
|お亀の方||||徳川家康の側室/9男徳川義直の母 |
|松平信康|1559/04/13|1579/10/05|20|家康の長男/母は築山殿/妻は織田信長娘の徳姫 |
|結城秀康|1574/03/01|1607/06/02|33|家康の次男・福井藩主/母はお万の方 |
|永見貞愛|1574/03/01|1605/01/05|31|家康の次男/双子は不吉と言うことで生母の実家に預けられる |
|加納御前/亀姫|1560/03/18|1625/07/01|66|家康の長女 |
|徳川秀忠|1579/07/30|1632/03/14||家康の3男・徳川2代将軍/母は西郷局 |
|松平忠吉|1580|1607/04/01||家康の4男/母は西郷局 |
|武田信吉|1583/10/18|1603/10/15||家康の5男 |
|松平忠輝|1592/02/16|1683/08/24|92|家康の6男・越後高田藩主/母は阿茶局 |
|松千代|1594|1599||家康の7男 |
|仙千代|1595|1600||家康の8男 |
|徳川義直|1600/11/28|1650/06/05|49|家康の9男・尾張徳川家の租/母はお亀の方 |
|徳川頼宣|1602/04/28|1671/09/19|68|家康の10男・紀伊徳川家の祖/徳川吉宗の祖父 |
|徳川頼房|1603/09/15|1661/08/23|57|家康の11男・水戸藩初代藩主/水戸光圀の父|

*松平竹千代(0-13) [#n11ed2a7]
-1541(天文11)年12月26日、虎の刻(午前4時頃)に岡崎城内で徳川家康は生まれました。~
父:松平広忠は17歳、母:お大(おだい)は15歳で、始めての子供でした。~
徳川家康は誕生した時の名前を《松平竹千代/たけちよ》と言い、名付け親は大浜称名寺と言う寺の住職でした。~

*松平二郎三郎元信(14-16) [#a3725255]
-その後、1555(弘治元)年、14歳の元服の際に名前を《松平二郎三郎元信/もとのぶ》としました。~
この時の名付け親は松平家を支配していた駿府([[静岡県]])の《今川義元/よしもと》で、その名前の中に義元の「元」と言う字を与え、自分に従わせようと考えていたのです。~

*松平蔵人元康(17-21) [#qa1b1b98]
-それから3年後の1558(弘治4)年の17歳の時、今川の要請で始めて合戦にでた時、初陣でみごとな働きを納めて自信を持った家康は、新たな決意で自らの名前を《松平蔵人元康/くらんどもとやす》と改名しました。~
それまでの「元信」の「信」の文字が今川家の敵である《[[織田信長]]》の「信」に通じることから、今川義元に遠慮して変えたとも言われています。~
新しい名前に「康」の字を加えたのは、武将として高く評価されていた祖父の松平清康の文字をとったとされています。~

*松平蔵人家康(22-24) [#kb634eb6]
-さらに5年後の1563(永禄6)年、22歳のときに《松平蔵人家康/くらんどいえやす》と改名。~
この年は宿敵であったハズの[[織田信長]]と清洲同盟を結んだ年で、これまで支配されていた今川家ときっぱり手を切るという意味もあって、今川義元からもらった「元」の字を完璧に捨てたと言われています。~
この「家」の文字は歴史的にも名高い武将《源義家》から取ったとか、伊東法師と言う者が『家用平康/家を用って平らかに康し』と言う書経の句から家康と言う名前を選んだともされています。~
この時はまだ家康の名前は『松平家康』でした。~

*徳川家康(25-) [#z05b5741]
-それから3年後の1566(永禄9)年12月、25歳の家康はついに尊敬する祖父の目標だった三河を統一することが出来たのです。そして朝廷から従五位下、三河守に任じられたのです。~
そこで苗字を心機一転『徳川』に改正し、《徳川家康/とくがわいえやす》となり、天下取りに向けて一段と飛躍しようと決意したのです。~
苗字の徳川とは、祖先が住んでいた「上野国(こうずけこく/現在の[[群馬県]]・新田郡(にったごおり)・世良田郷(せらだごう)・得川(とくがわ)」から取ったものです。~

*更新履歴 [#z449898a]
-2001.00.00
-2006.03.01.知泉
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