東洲斎写楽 のバックアップ(No.2)


:東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)

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写楽は実際にいたのか?

  • 日本の歴史にはいくつかの謎があり、多くの歴史家を悩ませ続け未だに答えの出ないものがいくつもある。
    たとえば、剣豪の「宮本武蔵?」や、天才彫刻家の「左甚五郎?」など、実在したハズなのだが、史実に当たればあたるほど謎の深まっていく人物と言うのがいる。
    その中で最大級の謎なのが天才浮世絵師の『東洲斎写楽:とうしゅうさいしゃらく』と言う人物なのです。

  • なぜ謎が多いかというと、実際に140作品も優れた浮世絵?を残しながら、その作者である写楽に関しての記録がほとんど残されていないからのです。
    その理由の一つとして、浮世絵と言う物がその時代、世界に誇るほど偉大な芸術品だと言う意識がなく、その仕事を丁寧に残すと言う作業がされていなかったからです。
  • 芸術として認められたのは明治以降のヨーロッパで。
    しかもヨーロッパへは美術品として持ち込まれたのではなく、輸出品の茶碗や花瓶を包む包装紙?としていらなくなった浮世絵が使われており、それにヨーロッパの画家たちが驚き評価をしたと言うのが美術品としての扱いの始まりだったのです。

  • もし最初から芸術品と言う扱いだとしたら、その作者にふれた記述も多く残されていたに違いありません。
    しかし、それ以上に写楽と言う人物には謎が多いのです。

  • 140点ほどの作品を残したのですが、実はそれらは1794(寛政6)年5月から翌年?の2月までの、たった10ヶ月の間に一気に作られ、それ以前も以降も一切作品が発表されていないのです。
    ふつうの絵師の場合、作品を発表し始める前に習作時代と言うのが存在していて、それらも残されていたりするのですが、それも一切無く、突然大量に完成された作品を発表しはじめ、たった10ヶ月で突然消えたと言う不自然なイメージしか残らないのです。

十返舎一九説

  • そこで多くの歴史学者たちが考えたのが、写楽と言うのは誰かのペンネームだったのでは無いか?と言うことなのです。
    その中で最初に有力視されたのが戯作者の十返舎一九です。

  • 実は彼は小説を書き始める前は浮世絵師を目指して勉強をしていた事もあり、その習作時代に写楽が全作品を発表した《蔦屋:つたや》と言う地本屋に住み込んでいたのです。
    さらに調べていくと、十返舎一九が習作時代に書いた絵の中に写楽のものと酷似した構図のものが存在するのです。

  • さらに疑惑を深めるが、写楽が姿を消した翌年に描かれた十返舎一九の小説と浮世絵を合わせた物の中に、凧揚げをする絵があるのですが、なんとその?に書かれた絵が写楽の物なのです。
    そして、その絵に添えられた文章には、地本屋の蔦屋を詐欺師だと非難するようなことが書かれているのです。
    そこから「十返舎一九は写楽と言う名前で大量の絵を描いたが、蔦屋に裏切られ、ぷっつりと絵を描かなくなった」とも考えられるのです。

喜多川歌麿説

  • それ以外に有力な候補というと、同じ浮世絵師の喜多川歌麿?もいます。
    当代きっての人気浮世絵師だった歌麿ですが、その絵や技法、文字などに多くの共通点が見られることがあげられます。

  • さらに、忙しかった歌麿がこの写楽が活躍していた時期にはそれまでの大作シリーズを終えて筆休みをしていた時期にちょうど当たるのです。
    1794年5月〜1795年秋頃と見事なまでに、時期が重ならないのです。

絵の変遷

  • さらに写楽の謎を深めている物に、たった10ヶ月しか活動しなかったのに、その中に4期に分類出来るほどはっきりとした作風の変化が見られる。と言うこなのです。

  • 第一期:胸より上の肖像画時代
    大胆なデフォルメと迫力のある画面構成で、有名な代表作が集中している時期。

  • 第二期:全身を描いた役者絵時代
    何故か描くのサイズも変わり、全身を描いているのにサイズは小さくなって、迫力に欠ける物が多い時期。しかし、第一期にあったデッサン不足が突然解消されて、ある種別人の作品とも思えるようになる。

  • 第三期:全身像&胸像画が混ざるもっとも量産した時代。
    しかしデッサンが上達したのと反比例して、迫力に欠ける作品が増え、評価はさほどされない物が多くなっている。
    落款の文字から「東洲斎」の文字が消え「写楽画」のみになる。

  • 第四期:歌舞伎興業の役者絵が中心で作品点数が少ない時代。

  • この事から、最初はデッサンが出来ない故に迫力のある絵が描けたのではないか?と言う意見も多く、その結果、旅役者が短期間だけ書いたのではないか?と言う説や、複数の人間が共通のペンネームとして「写楽」を名乗っていたのではないか?と言う説も浮かび上がっていますが、現在の所、その結論には至っていないと言うのが現状です。

更新履歴

  • 2003.08.00.知泉

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