天ぷら のバックアップの現在との差分(No.4)


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[[て]]:天ぷら(てんぷら)
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 *語源 [#v31060e7]
 -[[寿司]]と並んで外人に好まれる[[日本食]]として有名な料理ですが、このテンプラと言う名前の語源はハッキリせず、しかも説がこれほど多い料理は無いと思われます。~
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 +[[ポルトガル]]語で「調味料・料理」を意味する「テンペロ・Tempero」から来たと言う説
 +[[スペイン語]]・[[イタリア語]]で古い時代のローマカトリック教(天主教)で「四季の斎日」を意味する「テンポーラ・Tempora」から来たと言う説。~
 「四季の斎日」とはそれぞれの季節のはじめの三日間に祈りと節食をする習慣で、この間信者は[[肉>肉食]]を食べる事が出来なかったので、[[魚]]などに[[小麦粉]]の衣を付けて食べる事が多かったと言う。この料理を学んだ日本人が「テンポラ」と呼ぶようになった。
 +スペイン語で寺院・神殿を意味する「テンプロ・Templo」から来たと言う説。~
 (英語では「テンプル・Temple」)[[ヨーロッパ]]の教会料理としてテンプラに似たものがあったと言われている。
 +[[ポルトガル]]語で「調味料・料理」を意味する「テンペロ・Tempero」から来たと言う説
 +ポルトガル語で「金曜日の祭り」を意味する「テンポラ・Temporas」から来たと言う説。この金曜日にテンプラに煮た料理を食べていたと言われている。
 +[[江戸時代後期>江戸時代末期]]の洒落本作家・[[山東京伝]](1761.8.15〜1816.9.7)が命名したと言う説。~
 [[大阪>大阪府]]方面から魚のつけ揚げを売りに[[江戸]]にやってきた男に、料理の名前を考えてあげ、「天麩羅」と看板を書いてあげたそうです。京伝曰く「天竺(てんじく)浪人がふらりと江戸に来て売るから天ふら、そして麩は小麦粉、羅はうすい衣である」だそうです。~
 これは京伝の弟・山東京山(1769.6.15〜1858.9.24)と言う人物が書いた「蜘蛛の糸巻」と言う本の中で書いている説です。~
 しかし、この説は兄を敬愛する京山が創作した物らしく、それより古い《蜀山人:しょくさんじん》が若い頃に「左に盃をあげ、右にてんぷらを杖つきて」と書いている。
 しかし、この説は兄を敬愛する京山が創作した物らしく、それより古い《[[蜀山人]]:しょくさんじん(1749-1823)》が若い頃に「左に盃をあげ、右にてんぷらを杖つきて」と書いている。
 +[[中国語]]の「搭不刺・とうふら」と言う言葉が元になっているという説。
 +[[砂糖]]で衣を付けた[[ヨーロッパ]]の[[お菓子]]の名前が語源になっていると言う説。
 +その様な名前で呼ばれていた[[宝石]]があったと言う説。
 +「天麩羅」と言う漢字を万葉仮名で読むと「あぶら」と読める事から、最初は「アブラ」と言っていたのをワザと「テンプラ」と読み替えたのだろうと言う説もあります。~
 しかし、万葉仮名では一般に[[油]]は「阿夫良」「安扶羅」と書くのが常識なので、この説は疑わしいそうです。~
 
 
 *歴史 [#ne1e90e2]
 -もっとも古い資料にそれらしい名前が出てくるのは、[[1669(寛文9)年>1669年]]に書かれた『食道記』に「てんふらる」と言う名前の料理が出て来るのだが、これは必ずしも揚げ物ではないらしい。~
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 -それより古い時代、[[1616年>1616年]]に[[徳川家康]]が[[鯛]]の天ぷらを食べて体調を崩し死去したとされている文献が多いのですが、実際の事を言えばあの時点で「天ぷら」という名称は誕生していなかったと考えられます。~
 この天ぷらとされている料理は鯛を油で揚げてニラをかけた物で、小麦粉でころもが付けられた物ではありません。~
 ちなみに徳川家康の本当の死因は、天ぷらで体調を崩したものではなく、末期の[[食道癌>癌]]だったと考えられています。
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 -[[1685(貞享2)年]]の『料理献立表』の中には、徳川五代将軍・[[綱吉>徳川綱吉]]が朝鮮通信史を招いた時の宴席料理の中に「てんぷらり」と言う料理があり、これが今で言う「テンプラ」が初めて文章に出てきた物だと言われている。~
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 -[[江戸時代中期]]から後期にかけてのてんぷらは、屋台店で安い魚や[[貝]]を串に刺して[[油]]で揚げて食べるという、低級とされた食べ物だったらしいそうです。~
 天ぷらの語源の一つにも挙げられている[[山東京伝]]もm1個4文のサザエの天ぷらを食べたと記されている。~
 天ぷらの語源の一つにも挙げられている[[山東京伝]]も、1個4文の[[サザエ]]の天ぷらを食べたと記されている。~
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 -現在は[[野菜]]などに衣を付けて揚げた物もてんぷらとされているが、正式には《精進揚げ:しょうじんあげ》と言う。~
 しかし[[1814(文化11)年]]に書かれた《岡山鳥:おかやまちょう》著作の滑稽本『春二十三夜待:はるのにじゅうさんよまち』の中には、[[サツマイモ]]やクワイをごま油で揚げたと書かれている。~
 この当時からこのような食べ方が逢ったことは解るが、当時はまだ《精進揚げ》と言う言葉は普及していなかったらしい。~
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 -ちなみに《精進》というのは、[[サンスクリット]]語『viry:ビリヤ』の訳語で、仏道修行に励むことを言い、一定期間の精進月には身を清めて、魚や肉などを浮上の物として避けたのです。そこで、通常の天ぷらのような魚などを避けたものを《精進揚げ》と呼んだわけです。~
 -ちなみに《精進》というのは、[[サンスクリット]]語『viry:ビリヤ』の訳語で、仏道修行に励むことを言い、一定期間の精進月には身を清めて、魚や肉などを不浄の物として避けたのです。そこで、通常の天ぷらのような魚などを避けたものを《精進揚げ》と呼んだわけです。~
 
 
 *てんぷらの日 [#vfc4ce18]
 -[[7月22日>http://tisen.jp/dkg/query.php?KeyDate=07/22]]:大暑の日に、暑さにバテないために、てんぷらを食べて体力をつけようという日。~
 
 
 *天ぷらの流儀 [#nebb13dd]
 -天ぷらを食べる順序は、まず淡泊な白身魚(キスやメゴチ)からで、[[味]]がしっかりしている物(アナゴや貝柱)へ食べ進めるのが通だとされています。~
 -食通として有名な作家・池波正太郎氏は天ぷらに関しては「親の敵(かたき)にでも遭ったように揚げるそばからかぶりつく」と語っています『男の作法(新潮文庫)』~
 
 *更新履歴 [#aca84613]
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