忠犬ハチ公 のバックアップ(No.3)


【ちゅうけんはちこう:忠犬ハチ公】人名ち

ハチ公の豆知泉

  • ハチ公が渋谷駅前にまで毎日出かけていたのは、主人の帰りを待つという目的だけじゃなく、駅前の飲み屋で焼き鳥などを貰えるという理由があった。

  • 主人の死後も渋谷に出かけたのは、もちろん焼き鳥目当て。

  • この話が美談になったのは軍部が「主人に忠義を誓う」という話を強調して報道した為と言われている。(他に爆弾3勇士も捏造だと言われている。さらに義経ジンギスカン説も中国を狙った軍部が広めた話という説もある)

  • ハチ公の死因はフィラリアだが、解剖の結果、異に焼き鳥の串が刺さっていたことが判明した。

  • 忠犬ハチ公の主人・上野英三郎は、ハチ公の話だけで有名な人ではなく、農業土木工学の分野で功績のあった人に送られる「上野賞」にも名前を残している「日本農業土木の父」と呼ばれる立派な人。

4月8日 忠犬ハチ公慰霊祭/忠犬ハチ公の日

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東京都渋谷区?のJR渋谷駅前の忠犬ハチ公銅像維持会及び秋田犬群像維持会が制定。 1936(昭和11)年から毎年4月8日に慰霊祭が行なわれています。


  • ハチ公は、東大農学部の上野英三郎博士に飼われていた秋田犬でした。

  • 1923(大正12)年に秋田犬大館市で生まれ、1924(大正13)年から上野博士に飼われることになりました。
    上野博士の存命中は、玄関先や門の前で上野博士を見送り、時には渋谷駅まで送り迎えすることもありました。

  • そして、上野博士が1925(大正14)年5月に突然亡くなった後も、毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けました。
    主人を慕うハチ公の一途な姿は人々に感銘を与え、忠犬と呼ばれるようになり、1934(昭和9)年.4月21日、渋谷駅前に銅像がたてられました。
    除幕式にはハチ公自身も出席しています。
    (右の写真は銅像のハチと本物のハチ)
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  • 晩年のハチ公は自分の銅像の下で亡き主人の帰りを待ち続けました。 そして1935(昭和10)年.4月8日に10歳余りで一生を終えました。
    ハチ公の銅像は戦争中に供出され、現在のものは1947(昭和22)年8月に再建されたものです。

その後のハチ公

  • 現在、本物のハチは上野の国立記念博物館に剥製にされ保管されています。
    国立記念博物館の動物分類展示フロアの中に『秋田犬 ハチ公』と言うプレートを付けられて展示されている。
    この剥製の制作は、当時、日本一の技術を持っていると言われた坂本喜一さんの指導によって作られたもの。

  • この動物分類展示フロア、ハチ公の隣には『カラフト犬 ジロ』と言う名前で、かの南極観測隊に参加したジロが剥製になって展示されている。
    ハチ公は完璧な状態で剥製にされているのですが、ジロは南極の過酷な自然の中で生き延びボロボロになっていただけでなく、その後の保存状態が悪かったので、剥製の状態も良くないです。

  • 相方のタロも剥製になっているのですが、ここにはなく、北海道大学・北方生物園フィールド 科学センター植物園の中に『樺太犬 タロ』として展示されています。
    タロは南極から戻った後、北海道大学の植物園で飼われていた為に死後ここで剥製にされた。保存状況はまずまずです。

更新履歴

  • 1998.00.00
  • 2006.02.27:知泉

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