中日ドラゴンズ のバックアップ(No.12)


【中日ドラゴンズ】

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中日ドラゴンズ

  • 長嶋茂雄・一茂の長嶋親子両方と対戦したピッチャーは、元中日ドラゴンズ(現コーチ)の鈴木孝政、ただ1人。

  • 長嶋親子両方と対決した、ドラゴンズの鈴木孝政。
    彼の投げるナックルボールは通称「ナッツボール」と呼ばれたが、その由来は「落下するボール」と「出身地千葉の名産の落花生」を掛け、「落花生ボール」を英語風に「ナッツボール」となった。
    さらに、奥さんの名前である奈知代という名前とも関わっているらしい。

  • 1947年からすべての球団が球団名にニックネームを付けて名乗るということになり、中日球団のニックネームを決めるとき、オーナーの干支である辰年にちなんで「ドラゴンズ」と名づけられた。
    ちなみに、そのオーナーとは、親会社である中部日本新聞社の杉山虎之助社長(1904年1月12日生まれらしい)。
  • 同様のケースとして愛知県刈谷市にあるプロバスケットボールチーム「シーホース三河」のシーホース(タツノオトシゴ)もアイシン精機の豊田稔名誉相談役が1916年の辰年生まれだったことにも由来する。
  • 翌1948年に初めてユニフォームの胸のところにドラゴンズの名を入れ、仕上がって着てたらスペルの間違いを指摘されて気づいた。「Doragons」になってた。物資不足のため気づいてもそのままその年は着続けた。

  • 『タイムボカンシリーズ』などアニメの主題歌の作曲でお馴染みの山本正之のデビューのきっかけは、友人が言った「ラジオでドラゴンズの応援歌を募集しているよ」の一言。
    さっそく『燃えよドラゴンズ』を作詞作曲し、板東英二がやってた昼ワイドにテープを送り、放送され、レコード化され、それが現在も使われている。
    しかし、実際にはラジオ局ではそのような募集は行っていなかった。

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