早慶戦 のバックアップ(No.1)
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- 1 (2006-02-13 (月) 21:21:58)
- 2 (2006-03-13 (月) 22:52:48)
- 3 (2006-06-28 (水) 04:54:22)
そ:早慶戦(そうけいせん)
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早慶戦のはじまり †
- プロ野球の「伝統の一戦」が巨人vs阪神ならば、大学野球の場合は早稲田大学vs慶応大学ということになります。
この伝統の一戦が始まったのは、1903(明治36)年11月21日のことです。
- 試合が開催されたのは、この試合の2週間前の11月5日に、慶応大学野球部に早稲田大学から以下のような手紙が届けられたことから始まりました。
「弊部依然として不振、従ふて選手皆幼稚を免れす候に就いては近日の中御教示にあつかりて以て大いに学ふ所あらは素志此上も無く候、貴部の御都合は如何に候ふへき哉」
つまり「私たちの野球部はいっこうに上達しないので、選手は幼稚な技量しか持っていない。だからあなた達の部に教えて貰いたいんですが」という内容なのです。
- その手紙から早稲田大学と慶応大学の野球部が試合をする事になり、それが周囲に広がりお互いの大学の威信を賭けての勝負となってしまったのです。
- その試合は三田にある慶応大学のグラウンドで開催され、約3000人の観客が集まりました。
第1戦は激しい打ち合いの末、11対9で慶応が勝利を手にしています。
もっとも当時はマスコミ的には注目されるような物ではなかったのか、大手新聞はこの試合のことを一切記事にしてはいません。
- 翌年は2回試合を行っているのですが、奮起したのか早稲田大学が2回勝利を収めています。
そこから早慶戦が始まり、それが現在にまで続く6大学野球へと広がっていったのです。
現在のように神宮球場で開催されるようになるのは神宮球場が竣工された大正15年以降です。